古代の摂津国内には、難波長柄豊碕宮・難波宮(難波京)等、度々天皇の住居(宮)が構えられている(「皇居#歴代の皇居」参照)。 国府所在地を記した文献は次の通り。 一方、史書からは次のように推定される。
国府
『和名抄』(平安時代中期成立)では、記載はない[3]
『拾芥抄』(鎌倉時代中期から南北朝時代成立)では、「西生郡」[4]
『節用集』(室町時代中期成立)では、「西成郡」[5]
難波京(大阪市天王寺区国分町)
延暦24年(805年)、江頭(大阪市中央区か) (『日本後紀』)
天長2年(825年)、豊島郡 (『日本後紀』)
承和11年(844年)、旧鴻臚館 (『続日本後紀』)