搾取
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マルクス主義の搾取理論についての経済学・政治理論的な批判や研究については「マルクス主義批判」を参照

政治学経済学における「搾取」は上記の第二義に近い意味で用いられる言葉であり、他人の労働の成果を無償で取得することを指す術語となっている。以下本項目においては、主にマルクス主義における用法を説明する。
マルクス主義における用法

マルクス経済学では、生産手段をもたない生産階級(労働者など)が生産する労働生産物(商品サービスなど)のうち、その生産者が社会的に生存していくのに必要な労働生産物以上の生産物(剰余生産物やサービスの一部)を、生産手段を所有する非生産階級(資本家など)が無償で収奪することを指して搾取と呼ぶ。
資本制以前の搾取

マルクス経済学においては原始共産制では、生産力が低く、搾取は存在しないとされ、奴隷制において奴隷主階級が奴隷階級を初めて搾取するとされる。封建制では領主階級が農奴階級を搾取するとされる。

原始共産制では、生産力が低く、搾取は存在しないということになっているが、搾取とはひとつの観念であり、人が人の労働の一部を私有するという観念の発生が持続したことによって人間を牛馬と同等もしくはその下と見た考え方が奴隷制である。

そこには他者の労働の一部を私有化するという行為がその根底にある。その観念がどのように発生してきたのかということを考えれば、マルクスが言うところの原始共産制社会の中で、その萌芽が現れていたという見方を現在の考古学上から窺い知れる範囲ではとることが出来る。

マルクスが言うところの原始共産制社会とは、考古学上では中石器時代後半の社会に該当するものである。現在の考古学では狩猟採集社会であるその時代を、生産力が低いとは決して見ていない。社会は家族関係の延長線上にある親族社会であり、その関係の観念が親族を他者とは考えないものとなっていることによって、この社会では搾取は行われない。つまり、現代社会でいえば、家族の中で搾取が行われない[要出典]ことと同じである。

搾取が発生し始めた社会、人間が栽培植物を発見し、本格的な植物栽培に乗り出したとき、つまり農耕の発生が始まった社会であり、そこから多くの余剰生産物が発生し、本来共同体全体の労働による余剰生産物であるにもかかわらず、一部の者がそれを私有として消費した時点が、他者の労働の一部を私有化したということになる。そのことが搾取の始まりと言える。

やがて時間の経過と共に余剰生産物を利用した特別な階層が固定化されてくる。そこでは他者の労働の私有化(搾取という観念)が発生してき、共同体の中で固定化されてくる。

その時代、土地はいくらでもあった。そこに人間の労働力を投下すればいくらでも農耕によって生産力を上げることが出来る。そこから他の部族の土地が狙われ、強い部族がその土地を侵略した、それと同時に捕虜とした他部族民を奴隷としたということである。

搾取とは、他者の労働の私有化そのものである。現在の社会までその観念が発生時点から継続してきたことにより、現代社会でも人間による人間の搾取は行われている。
資本制下における搾取

資本制下では、労働者階級は「労働の対価」としての「労賃」を等価交換で受け取っているという形態をとるので、一見、搾取は存在しないように見える。マルクス経済学では、古典派経済学は、労賃を「労働の対価」と見たために、搾取の存在と利潤(剰余価値)がどこから発生するかを見抜けずに、理論的破滅に陥ったとされる。なぜなら、原材料や機械の費用にあたる費用部分も等価交換し、「労働」にあたる費用部分(いわゆる「労賃」部分)も等価交換するのでは、どこからも利潤が生まれないからである。

カール・マルクスによる資本制下での搾取の暴露は、以下のようなものである。労働者は労働を販売するのではなく、一日(一定期間)の労働力を販売する。労働力は一日(一定期間)で消尽される。資本家は労働力を買ったときに、一日の使用権を得る。他の商品と同じように、労働力という商品を、どんなふうにどれだけ使うかは買い手の自由である。そして、労働力商品は、他の商品と唯一違った点をもっている特異な商品で、富(資本制下における価値)を生み出す特別な商品である。資本制下では価値の量は投下した労働量すなわち労働時間によって測られる。ゆえに、資本家は、まず、労働者を、労働者が社会的に生きていくのに必要な分だけ働かせる(必要労働)。これが労働力を再生産するのに必要な富の量、すなわち労働力商品の対価であり、「労賃」として現象する。つづいて、資本家は労働力商品の購入者としての権利を行使し、その必要労働分を超えて働かせる。この必要労働を超えて働かせた分が剰余労働であり、ここで生み出される価値を剰余価値という。資本制下における搾取は、この剰余価値の資本家階級による取得をさす。剰余価値は利潤の源泉である。この理論モデルによって、古典派の混迷の原因となった、商品経済の原則である等価交換原則を侵犯することなく、搾取を解明することが可能になった。

また、生産者が土地や機械などの生産手段から「解放」され、同時に封建的な身分拘束、土地への緊縛から「解放」されるという、二重の意味で「自由」な労働者が出現し、労働者が労働力を販売せざるをえないという歴史的段階になって初めて、資本主義的生産と搾取は可能になる。

マルクスの盟友エンゲルスは、剰余価値の発見を、史的唯物論の解明とならぶ「二大発見」と称した。マルクスは『共産党宣言』『賃労働と資本』などのころには搾取概念には到達しておらず、『資本論』1巻において初めてその解明に達した。『賃金・価格・利潤』にはその反映がある。
マルクスの基本定理

マルクス以前にも、リカードは、価格が投下労働価値に比例する前提のもとでは、正の利潤の源泉が労働の搾取にあることを示していた。

マルクスはリカードの付与した条件を広げ、価格が投下労働価値ではなく、均等利潤率が成り立つ「生産価格」になったとしても、利潤の源泉が搾取された労働だと言えることを証明できたとした。これがいわゆる「転化問題」における「総計一致二命題の両立」である。

非マルクス派の経済学者は、ベームバベルク以来、この「転化問題」についてのマルクスの解決には欠陥があり、マルクスの主張は成り立たないことを再三にわたって主張、論証してきた。

マルクス経済学側の反論は、マルクスが『資本論』で行っているのは、転化問題の最初のステップであり、これだけは総計一致二命題が成り立つには確かに不十分であるが、マルクスがやろうとした計算を繰り返していけば、総生産価格と総価値は一致するはずだと反論した。しかし後年、転化問題を実際に最後まで解いてみると、「総計一致二命題」は両立しないことが明らかになった。現実の価格が投下労働価値に比例するのはごく限られた場合であるから、これによって、以降、利潤の源泉が労働の搾取だと言うマルクスの主張は理論的に正当化できず、客観的に立証不可能な信念の表明にすぎないことになってしまった。

ところが、1954年置塩信雄が証明した「マルクスの基本定理」(この呼び名は英語で『マルクスの経済学』を著した森嶋通夫が命名したもの。証明者にちなんで、「置塩-シートン-森嶋の定理」と呼ばれることもある)は、ともかく正の利潤を発生させるような価格ならどんな価格であったとしても(つまり投下労働価値に比例した価格であろうとなかろうとも、また均等利潤率をもたらす生産価格であろうとなかろうとも)、そのもとで労働が搾取されていることを数学的定理として示した。このことは、マルクス主義の立場に立つ立たないを問わず、厳密な客観命題として、この定理の示す結論を(非マルクス派の経済学者にも)承認することを迫るものである。

また、この定理は、森嶋の著作等を通じて広まり、マルクス・ルネサンスと呼ばれる新しいマルクス経済学研究のマイル・ストーンともなった。

1980年代に入ると、一般的商品搾取定理が証明されるようになった[8][9]。これは「マルクスの基本定理」を拡張し、労働搾取の存在と任意の商品の搾取の存在の同値性を示したものである。この定理により、「マルクスの基本定理」が示したとされる、労働の搾取が正の利潤の唯一の源泉である主張は根拠を失う(労働搾取は、労働商品でない任意の商品の「搾取」と取り替え可能となるから)、とされる。しかし,これについては,労働以外の財の投下価値規定は、労働価値説の立場からは意味がない旨の批判や、置塩と森嶋とは別の定式化をすることで総計一致2命題とマルクスの基本定理が成立し、一般的商品搾取定理が成立しないNew Interpretation学派の定理が最も妥当だとする意見もあり、やはり決着はついていない[10]
日本法
労働基準法詳細は「労働基準法」を参照


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