援助交際
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2021年には21歳の男子大学生が37歳の男を相手にパパ活を行い、縁を切るときに刺殺された事件も発生している[14]

「援助交際」と「パパ活」で異なる部分は、男性側の金銭的余裕の差や活動自体に肉体関係が必須ではない点[12][15]、恋愛感情などを持たない体の関係だけの割り切りが中心である援助交際と違い、買う男性側に女性と交際関係にあるという認識が強い点、売る側に成人女性が多いことなどが挙げられる。

お小遣いとして金銭等を受け取ることが一般的だが、金額の大きさ次第で性交に応じる、つまり売春をする女性もいる[12]

パパ活を支援する営業形態は、交際クラブやデートクラブと呼ばれる。元々「パパ活」という言葉は、交際クラブ日本最大手のユニバース倶楽部が交際クラブの認知普及とイメージ転換のために作った言葉である[16][17]。現在では、交際クラブ・デートクラブの他に、パパ活を支援するウェブサイトやスマートフォン用のアプリもある[18]

なお、パパ活で得た収入確定申告を行わないと法律違反となる[19]

2020年代以降の梅毒の急拡大は、パパ活も一因であるとの専門家の指摘もある[20]
ママ活

男性が援助してくれる女性を探す活動をママ活という。2021年時点でママ活専用のマッチングアプリも存在し、東京大学早稲田大学慶応大学など高学歴の男子大学生もいるという[21]
日本の法律
未成年者が援助交際をした場合

援助交際を行った者が児童(法律によって違うがここでは18歳未満の者)で、その児童に対して客が性交の相手となるよう誘引し、金銭と引き換えに性的行為を行った場合には、日本では児童買春・児童ポルノ処罰法によって、児童買春とみなされる。児童との性行為やわいせつな行為は金銭の収受の有無によらず処罰を受け、さらに、成人が16歳未満の性的同意年齢に達していない少年(男女ともに少年と呼称される。少年法児童福祉法は性別無関係に20歳未満の者または小学1年生?17歳の者を少年と呼ぶ)を相手にした性行為は、合意の有無に関わらず不同意性交等罪・不同意わいせつ罪が適用される(そもそも法的に有効な「合意」は取れない)。

援助交際の過程で、児童の着用済み下着等の売買が行われる場合がある。また、一時的な交際(カラオケや食事を共にするだけ)という条件で合意し、それに対する金銭の授受が行われることもある。これらは性的行為を伴わないため淫行条例には違反せず、また買春行為にも当たらない。ただし行き過ぎた行為に対しては、青少年保護育成条例児童福祉法(対象は18歳未満)、未成年略取・誘拐罪(対象は成人年齢引き下げ前は20歳未満、引き下げ後は18歳未満)が適用された事例がある。
成人が援助交際をした場合

援助交際を行った者が成人で、その成人が客が金銭と引き換えに性的行為を行った場合には、パパ活を行った者が売春防止法違反を問われることになる。売春防止法は、売春をする目的で「公衆の目にふれるような方法で、人を売春の相手方となるように勧誘すること」を禁止しており、違反者には6カ月以下の懲役または一万円以下の罰金が課される(同法5条1項1号)。
日本における歴史的経緯

ここでは、援助交際が行われる舞台の変遷について記載する。
1980年代

1982年頃に、
女子大生を売りにした愛人バンク夕ぐれ族」が世間から注目を集め、類似組織が多数生まれた。

1983年(昭和58年)12月、その夕暮れ族を設立した女性社長が売春斡旋容疑で逮捕され、愛人バンクブームは終焉した。


1985年の風俗営業法改正後に「テレフォンクラブ」(テレクラ)が注目される。

1986年4月3日の朝日新聞夕刊(東京版)の記事に、「テレクラで男性客とデートをしていた家出中の女子高生が補導された」という内容が掲載された。同記事によれば、テレクラは1985年秋頃から新宿渋谷などに急増し、この頃までに100軒ほどあったという。

1990年代

バブル崩壊直後の1992年から1993年にかけて、スカートを短くしてルーズソックスを履いた女子高生が登場し、物珍しさからそれをマスメディアが「コギャル」と呼び頻繁に取り上げた。以降、1980年代から続いていたOL・女子大生ブームと入れ変わる形で世間から注目を集め、「女子高生ブーム」が発生した。それ以前の1980年代にも、おニャン子クラブ等のヒットで女子高生が注目された時期があったものの、あくまでエンタメ業界が中心で尚且つ同世代の学生をターゲットとしていた局地的な流行であった。しかし、1990年代前半からの女子高生ブームは実社会の一般の女子高生を中心とした流行であり、大人にまでその流行が到達していたことが、それ以前の状況とは大きく異なっていた。

そのような流れの中で女子高生ブームは性産業にまで波及してしまい、同時期に誕生した「ブルセラショップ」は社会問題となった。1993年(平成5年)8月には、古物営業法および職業安定法違反で警視庁は初めてブルセラショップを摘発した。

1994年にはダイヤルQ2を使い「援助交際クラブ」(デートクラブ)と称し、児童を使って売春(組織売春)をしていた業者が摘発されたことがきっかけで、マスコミに初めて「援助交際」のワードが出現するようになる[22]

また、同年には宮台真司の著書『制服少女たちの選択』が話題となり、援助交際が世間に知られるきかっけとなった。宮台は援助交際を個別の道徳意識や成育環境の問題としてではなく、日本の社会システムの問題として分析している。


1995年以降、1993年前後から既に流行していたポケットベル携帯電話PHS社会人青少年に爆発的に普及しはじめ、家族学校などの周囲に悟られないコミュニケーションが可能となった。また、バブル崩壊等による機能不全家族の増加とそれに伴うネグレクトや、平成以降の日本の核家族の増加による親子関係の希薄化と非行問題の関連が指摘され始める。

1996年に『週刊文春』にて、援助交際についてのルポルタージュが連載される[注 1]。レポーターの黒沼克史はテレフォンクラブやデートクラブに潜入し、その実態を抉り出して世間を騒然とさせた。このルポルタージュは純粋な調査報道だったが、これがいったん世に出ると大衆紙や低俗週刊誌は興味本位に書き立て、それまで援助交際など知らなかった女の子たちまでやりたがるようになり、それがまた報道を過熱させるという悪循環が起きた[23]。こういった経緯で当時日本中で話題になっていった「援助交際」という言葉は、この年ユーキャンが主催する毎年恒例の流行語大賞にノミネートされた。流行語大賞(の選考)で「援助交際」は惜しくも年間大賞を逃したものの、上位でのトップテン入りを果たし、全国放送されたテレビ特番の授賞式で「援助交際」が発表され、1996年の日本を象徴する流行語となった。「援助交際」は特に(1990年代前半から)"女子高生ブーム"を起こしていた当時の女子高生を象徴する言葉であったが、女子高生以外の学生(専門学生短大生・大学生・大学院生)やフリーター・女性会社員・女性公務員主婦なども幅広く象徴する流行語であった。

1996年東京都生活文化局の男子を含む当時の中高生を対象にした調査によると、援助交際を経験したことがある者は3.3%。1997年ベネッセ教育研究所の調査では、女子を対象として4.4%であった[24]


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