通常排行で呼ばれる有名な男性に『楊家将演義』の楊六郎(ただし史実では六男ではなかったらしい[4])、女性には『水滸伝』の扈三娘、馮夢竜『警世通言』の杜十娘などがある。なお、『児女英雄伝』の十三妹は偽名であって排行ではないが、第13回に排行かどうかを尋ねるシーンがある。
二郎真君がなぜ「二郎」と呼ばれるのかは不明だが、朱子は次男だったからと考えている[5]。 古代においては長幼の順に「伯(孟)・仲・叔・季・幼・稚」と呼んだ。孔子の字の「仲尼」、孫権の字の「仲謀」は、いずれも次男であることにもとづく。また夏侯淵の子は上から夏侯衡(伯権)・夏侯覇(仲権)・夏侯称(叔権)・夏侯威(季権)・夏侯栄(幼権)・夏侯恵(稚権)・夏侯和(義権)となる。 番号で呼ぶようになったのがいつからであるかははっきりわからない。『晋書』王蘊伝や『世説新語』賞誉篇に王忱を「阿大」と呼んだことが見えるが、王忱は長男ではない。『南史』斉高帝諸子列伝下では南斉の武帝が弟で五男の蕭曄を「阿五」と呼んでいる。南北朝時代に徐々に使われるようになったらしい。 唐代にはさかんに用いられ、唐詩の題にも、たとえば王維「送元二使安西」、杜甫の「寄李十二白二十韻」など、しばしば見られる。唐代には排行以外にさらに親族名称・官職・名などを加えて「李大夫七丈勉」[6]、「秘書少監十弟諒之」[7]のように複雑になることもあった。 排行は近代にはいっても普通に行われたが、唐代のように公的な文章にまで使われることはない。
歴史
脚注^ 「与元微之書」
^ 「祭浮梁大兄文」に「同気(=兄弟)四人」といい、また「祭小弟文」に「仲兄居易」と記す
^ 顧炎武『日知録』巻23・排行
^ ?博; ?柳 (2011-03-10), ⇒真?的?家将没那?多人, 人民網, ⇒http://history.people.com.cn/GB/198449/216479/14109919.html
^ 『朱子語類』 鬼神。"蜀中灌口二郎廟、當初是李冰因開離堆有功立廟。今来現許多霊怪、乃是他第二児子出来。"。
^ 杜甫「衡州送李大夫七丈勉赴広州
^ 李?「祭従祖弟秘書少監文