掌の小説
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注釈^ 新潮文庫『掌の小説』では、「てのひらのしょうせつ」としているが、川端康成本人や『新潮日本文学アルバム16 川端康成』では、「たなごころのしょうせつ」と呼んでいる[4][2]瀬沼茂樹は文学史用語としては「てのひらの小説」であったと説いている[2]
^ 長谷川泉は、146篇としているが、全集収録の「藤の花と苺」「めづらしい人」の2篇を入れていないために、2篇少なくなっている[10]
^ 億良伸が1924年(大正13年)4月に『文藝春秋』発表した「掌に書いた小説―四篇―」、8月に発表した2篇から成る「掌に書いた小説」のことを指す[2]
^ この「何と不思議な感情の装飾であらう。剃刀の刃で造られた花のやうだ」という横光利一の評言は、川端の『感情装飾』の特徴を的確に捉えている名文として評価されている[22][5][23][34]
^ 川端は、少女の歌声や舞の美しさを語っている随筆『純粋の声』の中で、〈「純粋の声」があり、「純粋な肉体」があるなら、「純粋の精神」といふものもあるはずである〉が〈少女や若い娘自らに、傑れた作家が殆ど絶無である〉、〈女学生は詩人としても、散文家としても、小学の女児に劣るのはなぜであるか〉として、文学の領域においては、少女(処女)は〈歌はれるもの〉(書かれる対象)であって、〈自ら歌へぬもの〉(三島の言うところの「物言はぬもの」「作品の素材」)であると述べたものである[41][26]
^ 「完璧な誤謬」とは、「芸術作品」という「危険物の存在」のことを指している[26]

出典^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 吉村貞司「解説」(掌の小説 2011, pp. 637?645)
^ a b c d e 長谷川泉「総論『掌の小説』論〔掌の小説の意味〕」(研究叢書2 1977, pp. 7?10)
^ a b c 「第二章 新感覚派の誕生――文壇への道 第五節 「掌の小説」と『感情装飾』――掌篇小説の流行」(森本・上 2014, pp. 171?178)
^ 「新感覚――『文芸時代』の出発」(保昌 1984, pp. 18?31)
^ a b c d e f g h i j k l m 松坂俊夫「掌の小説――研究への序章――」(作品研究 1969, pp. 28?51)。1・2章は松坂 1983, pp. 2?17に再掲載
^ a b c d e f g h i j 松坂俊夫「総論 川端文学と掌の小説――『僕の標本室』を視点に――〔1 掌の小説の位置〕」(研究叢書2 1977, pp. 34?38)。
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