日本の刑事手続
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捜査
1958年、平野龍一は全く対照的な捜査観として糾問的捜査観と弾劾的捜査観との二つの考え方を示した[7]。
糾問的捜査観
捜査活動は執行機関が全て行い、被疑者はその客体に過ぎないとするものであり、被疑者は一方当事者としての立場ではないとする考え方である。戦前の旧刑訴法上はこの考え方に基づいた捜査活動、公判維持が行われてきた。国家による事実の究明活動という側面が強い考え方である。
弾劾的捜査観
捜査段階においても、捜査機関と被疑者が対等に争うもので、事実の解明は裁判での争訟によるものとする考え方であり、戦後の刑訴法はこの弾劾的な法制度が取り入れられたものである。
いずれの考え方の一方を取り入れればよいというものではなく、事実の解明・犯罪の防止・人権の尊重との調和の必要性が求められている。なお、上記2つのモデル論の他、訴訟的捜査観(捜査独自性説)とよばれる独自の捜査構造の提唱がある。 通説は捜査を「公判の準備手続的性格」のものと位置付けるが、従来のこの考え方は、捜査機関のみを捜査の主体として捉えており、当事者主義を基調とする現行刑事訴訟法にはそぐわず、捜査機関のみならず、被疑者側も捜査の主体として互いに対立した構造を有するとするされている捜査独自性説も有力に唱えられている[10]。捜査独自性説では、捜査の目的を「起訴・不起訴を決定するための事実関係の有無を明らかにすること」とし、公判前の捜査手続の段階から被疑者側も証拠収集や弁解などの防御活動を行うことにより、被疑者側も捜査機関と並び「捜査の主体」であることから、捜査手続の弾劾化を図る見解である[11]。 また、実務家からは、上記の捜査独自性説とは別の視点から捜査の目的を問い直す見解が出されている。捜査活動は犯人に対しての訓戒的役割を果たしており、社会にとっても不安を緩和し、正義が行われたことの満足感を与えていることから、捜査それ自体の実際的効果は重要であり、無視できないとされる。また、実際問題として、犯罪捜査は、当初から「公訴の提起、公判維持」を目的としているといえるのかという疑問も出されている。訴訟条件が整わない場合に於いても捜査活動が行われることがありうる(後述・訴訟条件を欠く場合の捜査の許容性参照)ことから、捜査活動自体が持つ嫌疑の判断・事案の解明等の機能にも着目すべきであるとされる。それによると、公訴提起以前の段階である、事件性・嫌疑の有無を判断するための捜査が行われうるのであって、それに先だって「公訴の提起、公判維持」を目的とする活動が行われているとするのは現実にそぐわないとされる。そのため、捜査の目的を旧来の「公訴の提起・公判維持」に限定する考え方は不合理であり、また限定する必要性に欠けるとの批判がある。公訴に向けた捜査だけではなく、被疑者とされているものの疑いを解き、犯人ではないことを確定させるための捜査や、起訴猶予にするための捜査活動つまり、起訴ではなく不起訴に向けた捜査も行われている。
捜査の独自性