捕鯨問題
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文化の多様性は尊重されるべきであるし、資源管理における地域社会の貢献もあり、日本の沿岸小型捕鯨者によるミンククジラの捕鯨は認められるべきである[30]。B.モーランも、生存(生業)捕鯨(subsistence whaling)と商業捕鯨 (commercial whaling) の区別は西欧的な偏見のかかった価値体系に基づいたもので非西欧人には受け入れることができないし、捕鯨はコモディティであり生業捕鯨と商業捕鯨の区別は無意味であるとした[31]。フリードハイムも反捕鯨規範を押し付けることは、文化的侵害行為として批判している[89]。1989年に日本代表はIWCで「肉食文化が魚食文化を破壊するためにIWCを利用している」と批判した[89]。オーストラリアではカンガルー、欧州ではきつね、アメリカでは子牛などのほ乳類を殺し食べているが日本の捕鯨を認めないというのは偽善である[89][109]。ある文化的風習が過剰搾取や種の絶滅にならない限りは風習を堅持する権利が各文化にはある[89]。農林水産省は「鯨肉の消費は時代遅れの文化的風習ではなく、牛肉を食べることが世界の標準でもない」と主張している[89]。しばしば主に欧米と捕鯨国の捕鯨に対する意見の衝突は「ユダヤ教やキリスト教といった宗教・文化と捕鯨国(日本)との宗教・文化の価値観の相違」でもあると語られることがある[110][111][112][113]。日本では捕鯨とクジラへの信仰があり[114][115]、クジラを供養する宗教観が存在する[116]。ただキリスト教国家でも捕鯨は行われていたことがある。

伝統的には日本では捕鯨された鯨への感謝や供養が見られ、当時は食糧確保が難しかったことを鑑みると、これは動物保護団体の思想に近いとする指摘や、村八分等の悪しき伝統もあり文化だからという理由だけで擁護すべきではないという指摘がある[117]

一方で、捕獲したクジラを供養するという風習は仏教関係者によって始められた事例が顕著であり、古式捕鯨の盛んだったすべての地域にクジラの怨念怨霊)や祟り神罰で人的被害が続出したのを見かねた僧侶などが人々を諫めて鯨塚鯨墓の建立などの供養を始めさせたという昔話が残されている[118]
鯨の神格化、クジラ知的生物論「ボン条約」、「アンブレラ種」、および「象徴種」も参照

岸上伸啓によれば鯨の神格化は、メディアの圧倒的な物量作戦によって生み出された鯨の虚像(メディアホエール)であり、愛や平和,非暴力などの価値が強調され、映像や音声表現にヴァーチャル・リアリティが入っており、こうしたメッセージから捕鯨が倫理的に悪と考えられている[31]。また、俗流動物中心主義にたつ反捕鯨論はエコファシズムに向かう危険があるとみている[31]。また、環境保護はこうしたシンボルを利用して、多額の資金を調達し、また企業や政府はこうした神話を支持することによって「地球にやさしい」という政治的な正当性を獲得したと分析している[31]

ノルウェーの人類学者カラン(ノルウェー語版)によれば、クジラを生物学的、生態学的、文化政治的に象徴的に特別な存在とみなして、地球上で最大の動物(シロナガスクジラ),地球上で最大の脳容積を持つ動物(マッコウクジラ),身体に比して大きな脳を持つ動物(ハンドウイルカ),愉快でさまざまな歌を歌う動物(ザトウクジラ),人間に友好的な親しい動物(コククジラ),絶滅の危機に瀕している動物(ホッキョククジラやシロナガスクジラ)といった特徴のすべてを併せ持った空想の鯨、「スーパーホエール神話」がメディアにおいて流通し、環境保護のシンボルとなったと指摘している[89]

三浦淳は、知能の高低と殺してよいもの、そうでないものを結びつけることに合意される合理的な理由はないうえに、その論法を用いれば知能が低い人間は殺害してもよい、という考えに結びつくと述べている[119]。このような価値観が反捕鯨の世論の形成の根底にあるといわれる[120][121][疑問点ノート]。

また、河島基弘はクジラに見られる6つの特殊性[注釈 13]が反捕鯨思想に影響を与えていると考察したうえで、鯨を神格化し特別視することは種の違いに基づく種差別であるとしている[122]

一方で、クジラを神聖視して捕鯨をタブー視する風潮は日本列島の多くの漁村にも見られた現象であり[83][86]、類似したクジラへの信仰と捕鯨の忌諱は朝鮮半島中国大陸や現在のベトナムなど東アジアの広範囲に普遍的に存在していた[123][124][125]
利用法

縄文時代には骨が土器の製造台として使われ、飛鳥時代に仏教が伝来して一般的に肉食が禁止されると、当時は魚と見なされていたクジラから貴重な動物性タンパク質が摂取された。江戸時代初期まではクジラは貴重な食材として扱われ、饗応品や献上品に利用された。江戸時代初期以降に組織的捕鯨が始まると供給量が一気に増大し、赤肉や皮類は塩漬けされて日本全国に供給され、江戸時代中期に庶民の一般的な食料となり、時節ハレの日に縁起物として広く食されるようになり、多種多様な鯨料理と鯨食文化が生まれた。一例として、毎年12月13日に塩蔵した鯨の皮の入った鯨汁を食べる「煤払い(すすはらい)」や、70種類の鯨料理を紹介した書物「鯨肉調味方」があげられる[126]。食文化以外では「花おさ」に代表される縁起物としての工芸品でもある鯨細工は、クジラの歯・骨・鯨ひげを材料とし、鯨ひげは人形浄瑠璃の板バネやカラクリ人形ゼンマイにも使われてきた[127][128][129]

ノルウェーアイスランドなどにも鯨食文化が残っている。また、鯨肉は美味であるだけでなく、高タンパク、低脂肪、低カロリー、でコレステロール含有量も少なく、脂肪酸には血栓を予防するエイコサペンタエン酸(EPA)や頭の働きをよくするドコサヘキサエン酸(DHA)、抗疲労効果のあるバレニン成分が豊富に含まれ、生活習慣病アトピー等のアレルギー症状を軽減する[30]
伝統捕鯨、原住民生存捕鯨

先史時代縄文時代前期より日本では捕鯨が行われてきた[30]。江戸時代の鎖国政策によって遠洋航海が可能な船の建造が禁止されていたため、遠隔捕鯨化に伴う産業的な拡大は限定的で、これは明治以降の沿岸捕鯨の近代化・沖合捕鯨の開始・南極海商業捕鯨(輸出向けの鯨油の確保による外資稼ぎが主目的で、冷凍船の導入などで持ち帰りが可能に)にもある程度引き継がれた。

2002年のIWC下関会議では、原住民生存捕鯨枠には反捕鯨国が含まれる一方で、日本に対しては捕獲枠がいっさい認められず、調査捕鯨も引き続き反捕鯨国から非難され、また先住民には絶滅危惧種であるホッキョククジラなどの捕獲を認める一方で、日本に対しては絶滅の危機に直面しているわけではないクロミンククジラの捕獲も許さないという対応がとられた。


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