伝統的には日本では捕鯨された鯨への感謝や供養が見られ、当時は食糧確保が難しかったことを鑑みると、これは動物保護団体の思想に近いとする指摘や、村八分等の悪しき伝統もあり文化だからという理由だけで擁護すべきではないという指摘がある[117]。
一方で、捕獲したクジラを供養するという風習は仏教関係者によって始められた事例が顕著であり、古式捕鯨の盛んだったすべての地域にクジラの怨念(怨霊)や祟りや神罰で人的被害が続出したのを見かねた僧侶などが人々を諫めて鯨塚や鯨墓の建立などの供養を始めさせたという昔話が残されている[118]。
鯨の神格化、クジラ知的生物論「ボン条約」、「アンブレラ種」、および「象徴種」も参照
岸上伸啓によれば鯨の神格化は、メディアの圧倒的な物量作戦によって生み出された鯨の虚像(メディアホエール)であり、愛や平和,非暴力などの価値が強調され、映像や音声表現にヴァーチャル・リアリティが入っており、こうしたメッセージから捕鯨が倫理的に悪と考えられている[31]。また、俗流動物中心主義にたつ反捕鯨論はエコファシズムに向かう危険があるとみている[31]。また、環境保護はこうしたシンボルを利用して、多額の資金を調達し、また企業や政府はこうした神話を支持することによって「地球にやさしい」という政治的な正当性を獲得したと分析している[31]。
ノルウェーの人類学者カラン(ノルウェー語版)によれば、クジラを生物学的、生態学的、文化政治的に象徴的に特別な存在とみなして、地球上で最大の動物(シロナガスクジラ),地球上で最大の脳容積を持つ動物(マッコウクジラ),身体に比して大きな脳を持つ動物(ハンドウイルカ),愉快でさまざまな歌を歌う動物(ザトウクジラ),人間に友好的な親しい動物(コククジラ),絶滅の危機に瀕している動物(ホッキョククジラやシロナガスクジラ)といった特徴のすべてを併せ持った空想の鯨、「スーパーホエール神話」がメディアにおいて流通し、環境保護のシンボルとなったと指摘している[89]。
三浦淳は、知能の高低と殺してよいもの、そうでないものを結びつけることに合意される合理的な理由はないうえに、その論法を用いれば知能が低い人間は殺害してもよい、という考えに結びつくと述べている[119]。このような価値観が反捕鯨の世論の形成の根底にあるといわれる[120][121][疑問点 – ノート]。
また、河島基弘はクジラに見られる6つの特殊性[注釈 13]が反捕鯨思想に影響を与えていると考察したうえで、鯨を神格化し特別視することは種の違いに基づく種差別であるとしている[122]。
一方で、クジラを神聖視して捕鯨をタブー視する風潮は日本列島の多くの漁村にも見られた現象であり[83][86]、類似したクジラへの信仰と捕鯨の忌諱は朝鮮半島や中国大陸や現在のベトナムなど東アジアの広範囲に普遍的に存在していた[123][124][125]。 縄文時代には骨が土器の製造台として使われ、飛鳥時代に仏教が伝来して一般的に肉食が禁止されると、当時は魚と見なされていたクジラから貴重な動物性タンパク質が摂取された。
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