捕鯨問題
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一方で、日本において捕鯨をナショナリズムの振興や国威掲揚、外国への批判と日本人の「被害者意識」を誘発させる材料として利用してきた側面は江戸時代から見られ、生物学的な実態の伴わない古式捕鯨の持続性の主張や「外国人が日本近海の鯨を捕るよりも先に日本人が捕りつくすべきである」という論調の台頭などが見られたとされる[1]。実際に、上記の三浦浄心が記録した「関東諸浦」における欧米捕鯨が介入する以前の操業(文禄期)では、当初は年平均100-200頭の捕獲だったのが20年ほどで年に4-5頭にまで減少したとされており[88][2]、古式捕鯨の持続性の是非に関しての再考が必要であるという指摘も存在する[1]

ナンシー・シューメイカーは、かつて鯨肉食を普及させようと試みたが失敗した米国政府は捕鯨規制には鯨肉を食す国の視点を取り入れずに規制しようとしたため、商業か生業か、文明か野蛮かという二分法の枠組みで扱われた。石油開発によって鯨油は産業資源でなくなったため、アメリカはクジラの捕獲を禁止してもアメリカ人は失うものは何もなく、すなわち鯨肉はアメリカの文化的な好みに合致する味にはならなかったため、国際合意に負の影響を与えていると指摘している[31]。このような食文化その他の文化面における対立には、中国の一部、韓国やベトナムにおける犬食文化[89]がある。

一方で、山本太郎は、食肉としての鯨肉の需要の低さ、東日本大震災の復興予算などの財源を投入しているのにもかかわらず商業としての持続性の破綻の可能性、捕鯨自体は文化庁による文化財として保護の対象になっていないこと、鯨肉を食料として重要視する様になったのは戦後の食糧難が大きな一因であること、南極海での捕鯨を放棄する代わりに日本列島の沿岸での捕鯨を許可するという国際捕鯨委員会における提案を日本が3回も拒否していること、ザトウクジラナガスクジラの捕獲を宣言したことでシーシェパードを中心とした反捕鯨運動を拡大させたことなど、日本政府のこれまでの対応の不手際や事業として継続することの正当性や南極海での捕鯨を「文化」と呼ぶことへの疑問を呈しており、「文化ではなくて水産庁利権」で捕鯨問題が拡大したとしている[90]

政府開発援助(ODA)を利用した、日本による国際捕鯨委員会での「票買い」への疑問もみられ、1994年から2006年の間に564億円以上のODAが「票買い」に使われたとされている[91][92]ドミニカ国の農業・計画・環境大臣やカリブ自然保護協会の会長を務め、ゴールドマン環境賞の受賞歴も持つアサートン・マーチン(英語版)[93]は、日本による捕鯨へのODAの政治利用を「ODA植民地主義」と形容し、同国の伝統と漁業と観光業への悪影響を主張し、上記の通り、南大西洋の鯨類保護区の設立への反対を強要されたこともあり、これらへの抗議のために大臣職を辞任している[18][94]

南氷洋における「捕鯨オリンピック」の時代においても、本来の目的は鯨油の確保であり、沿岸捕鯨との軋轢を解消するために南氷洋産の鯨肉の輸入を禁止していたこともある。南氷洋産の鯨肉が注目され始めたのは、第二次世界大戦の勃発によって外国への鯨油の輸出が難しくなり、食糧難も相まったことが原因だとされており、それまでは南氷洋産の鯨肉は廃棄される場合が目立った[4]。とくに日本ソビエト連邦は乱獲や絶滅危惧種密猟などの規定違反が著しく、日本による沿岸捕鯨[95]と南氷洋での捕鯨での密猟が横行し、絶滅危惧種の保護への反対やモニタリング義務の無視など互いの大規模違法捕鯨への助力も行っており[96]、他の捕鯨国からも非難される場合もあり、日本による外国船を使った密猟も横行してシーシェパードなどに妨害・破壊された事例も存在する[97][98][99]

また、捕鯨国ではホエールウォッチングとの間に軋轢が生じる可能性も存在する[100][52]アイスランドにおけるナガスクジラ絶滅危惧種)の捕鯨は国内での消費よりも食用やペットフードなどの目的としての日本への輸出の割合が大きく[101]、一方でアイスランドの国内では鯨肉自体の需要の減少や捕鯨業者の減少、アニマルライツの観点やホエールウォッチングの需要の増加などから、2023年には捕鯨の撤廃の討議も行われるなどの動きが見られている[102]

2015年の『ビハインド・ザ・コーヴ ?捕鯨問題の謎に迫る?』や、業界関係者のほかに『シン・ゴジラ』などの作品で知られる樋口真嗣も出演した2023年の『鯨のレストラン』[103][104]を監督した八木景子は、日本の捕鯨を支持する立場である一方で国内の捕鯨業界の不手際と腐敗も指摘しており、将来性を見据えない国際捕鯨委員会からの脱退、多額の税金の投入、商業としての方向性や実現性ではなくて国家予算や利権を得ることへの方向性の編重、業界内の排他性や男尊女卑の傾向、ノルウェーとの価格競争への国内外の業者の結託による国内の業者への悪影響、「シーシェパード犠牲者ビジネス」などの点を挙げており、コストパフォーマンスを度外視した税金が使用されている現状があるとしている[105]。また、C・W・ニコル石井泉などの国内の関係者の様に、かつては日本の捕鯨やイルカ猟を応援していた立場の人間が日本の捕鯨業界の腐敗によって反捕鯨側に回ったり支援をやめたとする事例もあったとしている[105][106]
異文化対立、文化多様性食用利用以外の歴史的経過については、捕鯨文化鯨骨鯨ひげ鯨油も参照

反捕鯨国の多くはクジラを食料としてきた歴史が途絶えて久しい[107]ため、「クジラを食料と見る文化が生き残っているか、そういう文化が生き残っておらず、保護対象としての野生動物と見る」という異文化対立が生じている。愛媛大学農学部の細川隆雄は、「鯨を捕るな食べるな」という価値観を日本は押し付けられたとしている[108]。文化の多様性は尊重されるべきであるし、資源管理における地域社会の貢献もあり、日本の沿岸小型捕鯨者によるミンククジラの捕鯨は認められるべきである[30]。B.モーランも、生存(生業)捕鯨(subsistence whaling)と商業捕鯨 (commercial whaling) の区別は西欧的な偏見のかかった価値体系に基づいたもので非西欧人には受け入れることができないし、捕鯨はコモディティであり生業捕鯨と商業捕鯨の区別は無意味であるとした[31]。フリードハイムも反捕鯨規範を押し付けることは、文化的侵害行為として批判している[89]。1989年に日本代表はIWCで「肉食文化が魚食文化を破壊するためにIWCを利用している」と批判した[89]。オーストラリアではカンガルー、欧州ではきつね、アメリカでは子牛などのほ乳類を殺し食べているが日本の捕鯨を認めないというのは偽善である[89][109]。ある文化的風習が過剰搾取や種の絶滅にならない限りは風習を堅持する権利が各文化にはある[89]。農林水産省は「鯨肉の消費は時代遅れの文化的風習ではなく、牛肉を食べることが世界の標準でもない」と主張している[89]


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