捕鯨問題
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また、捕鯨国ではホエールウォッチングとの間に軋轢が生じる可能性も存在する[100][52]アイスランドにおけるナガスクジラ絶滅危惧種)の捕鯨は国内での消費よりも食用やペットフードなどの目的としての日本への輸出の割合が大きく[101]、一方でアイスランドの国内では鯨肉自体の需要の減少や捕鯨業者の減少、アニマルライツの観点やホエールウォッチングの需要の増加などから、2023年には捕鯨の撤廃の討議も行われるなどの動きが見られている[102]

2015年の『ビハインド・ザ・コーヴ ?捕鯨問題の謎に迫る?』や、業界関係者のほかに『シン・ゴジラ』などの作品で知られる樋口真嗣も出演した2023年の『鯨のレストラン』[103][104]を監督した八木景子は、日本の捕鯨を支持する立場である一方で国内の捕鯨業界の不手際と腐敗も指摘しており、将来性を見据えない国際捕鯨委員会からの脱退、多額の税金の投入、商業としての方向性や実現性ではなくて国家予算や利権を得ることへの方向性の編重、業界内の排他性や男尊女卑の傾向、ノルウェーとの価格競争への国内外の業者の結託による国内の業者への悪影響、「シーシェパード犠牲者ビジネス」などの点を挙げており、コストパフォーマンスを度外視した税金が使用されている現状があるとしている[105]。また、C・W・ニコル石井泉などの国内の関係者の様に、かつては日本の捕鯨やイルカ猟を応援していた立場の人間が日本の捕鯨業界の腐敗によって反捕鯨側に回ったり支援をやめたとする事例もあったとしている[105][106]
異文化対立、文化多様性食用利用以外の歴史的経過については、捕鯨文化鯨骨鯨ひげ鯨油も参照

反捕鯨国の多くはクジラを食料としてきた歴史が途絶えて久しい[107]ため、「クジラを食料と見る文化が生き残っているか、そういう文化が生き残っておらず、保護対象としての野生動物と見る」という異文化対立が生じている。愛媛大学農学部の細川隆雄は、「鯨を捕るな食べるな」という価値観を日本は押し付けられたとしている[108]。文化の多様性は尊重されるべきであるし、資源管理における地域社会の貢献もあり、日本の沿岸小型捕鯨者によるミンククジラの捕鯨は認められるべきである[30]。B.モーランも、生存(生業)捕鯨(subsistence whaling)と商業捕鯨 (commercial whaling) の区別は西欧的な偏見のかかった価値体系に基づいたもので非西欧人には受け入れることができないし、捕鯨はコモディティであり生業捕鯨と商業捕鯨の区別は無意味であるとした[31]。フリードハイムも反捕鯨規範を押し付けることは、文化的侵害行為として批判している[89]。1989年に日本代表はIWCで「肉食文化が魚食文化を破壊するためにIWCを利用している」と批判した[89]。オーストラリアではカンガルー、欧州ではきつね、アメリカでは子牛などのほ乳類を殺し食べているが日本の捕鯨を認めないというのは偽善である[89][109]。ある文化的風習が過剰搾取や種の絶滅にならない限りは風習を堅持する権利が各文化にはある[89]。農林水産省は「鯨肉の消費は時代遅れの文化的風習ではなく、牛肉を食べることが世界の標準でもない」と主張している[89]。しばしば主に欧米と捕鯨国の捕鯨に対する意見の衝突は「ユダヤ教やキリスト教といった宗教・文化と捕鯨国(日本)との宗教・文化の価値観の相違」でもあると語られることがある[110][111][112][113]。日本では捕鯨とクジラへの信仰があり[114][115]、クジラを供養する宗教観が存在する[116]。ただキリスト教国家でも捕鯨は行われていたことがある。

伝統的には日本では捕鯨された鯨への感謝や供養が見られ、当時は食糧確保が難しかったことを鑑みると、これは動物保護団体の思想に近いとする指摘や、村八分等の悪しき伝統もあり文化だからという理由だけで擁護すべきではないという指摘がある[117]

一方で、捕獲したクジラを供養するという風習は仏教関係者によって始められた事例が顕著であり、古式捕鯨の盛んだったすべての地域にクジラの怨念怨霊)や祟り神罰で人的被害が続出したのを見かねた僧侶などが人々を諫めて鯨塚鯨墓の建立などの供養を始めさせたという昔話が残されている[118]
鯨の神格化、クジラ知的生物論「ボン条約」、「アンブレラ種」、および「象徴種」も参照

岸上伸啓によれば鯨の神格化は、メディアの圧倒的な物量作戦によって生み出された鯨の虚像(メディアホエール)であり、愛や平和,非暴力などの価値が強調され、映像や音声表現にヴァーチャル・リアリティが入っており、こうしたメッセージから捕鯨が倫理的に悪と考えられている[31]。また、俗流動物中心主義にたつ反捕鯨論はエコファシズムに向かう危険があるとみている[31]。また、環境保護はこうしたシンボルを利用して、多額の資金を調達し、また企業や政府はこうした神話を支持することによって「地球にやさしい」という政治的な正当性を獲得したと分析している[31]

ノルウェーの人類学者カラン(ノルウェー語版)によれば、クジラを生物学的、生態学的、文化政治的に象徴的に特別な存在とみなして、地球上で最大の動物(シロナガスクジラ),地球上で最大の脳容積を持つ動物(マッコウクジラ),身体に比して大きな脳を持つ動物(ハンドウイルカ),愉快でさまざまな歌を歌う動物(ザトウクジラ),人間に友好的な親しい動物(コククジラ),絶滅の危機に瀕している動物(ホッキョククジラやシロナガスクジラ)といった特徴のすべてを併せ持った空想の鯨、「スーパーホエール神話」がメディアにおいて流通し、環境保護のシンボルとなったと指摘している[89]

三浦淳は、知能の高低と殺してよいもの、そうでないものを結びつけることに合意される合理的な理由はないうえに、その論法を用いれば知能が低い人間は殺害してもよい、という考えに結びつくと述べている[119]。このような価値観が反捕鯨の世論の形成の根底にあるといわれる[120][121][疑問点ノート]。

また、河島基弘はクジラに見られる6つの特殊性[注釈 13]が反捕鯨思想に影響を与えていると考察したうえで、鯨を神格化し特別視することは種の違いに基づく種差別であるとしている[122]

一方で、クジラを神聖視して捕鯨をタブー視する風潮は日本列島の多くの漁村にも見られた現象であり[83][86]、類似したクジラへの信仰と捕鯨の忌諱は朝鮮半島中国大陸や現在のベトナムなど東アジアの広範囲に普遍的に存在していた[123][124][125]


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