捕鯨問題
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米国は1972年国連人間環境会議で商業捕鯨の10年間一時停止を提案し採択された。IWCでも同年にモラトリアム提案を提出したが、科学的正当性に欠けるとの理由[6]で否決された。アメリカが反捕鯨を持ち出したのは、当時話題になっていた核廃棄物の海洋投棄問題から目をそらせるためであったと国際ピーアール(現ウェーバーシャンドウィックワールドワイド)「捕鯨問題に関する国内世論の喚起」[7][8][注釈 3]に記されている。この他、人間環境会議に出席した日本代表の米沢邦男は、主催国スウェーデンオロフ・パルメ首相が、ベトナムでの米軍の枯れ葉作戦を非難し環境会議で取り上げることを予告していた。アメリカはそれまでIWCに捕鯨モラトリアムを提案しておらず、それを唐突に焦点にしたのは、ベトナム戦争枯葉剤作戦隠しの意図があったのではないかといわれている[10]。しかしながら、同会議に日本から出席した綿貫礼子によれば、当時は国連主催の会議でベトナム戦争には言及しない事が暗黙の了解となっており、同会議場ではアメリカの「地球の友」と英国の「エコロジスト」を出しているグループが共同で出したミニ新聞には国連会議の動きが記されており、国連会議で鯨に対する日本政府の姿勢を攻撃するニュースも記されていた[11]。また、人間環境会議にいたる状況を調べた真田康弘によると、人間環境会議から八ヶ月前にIWCで採択していた南半球の一部海域でのマッコウクジラの捕獲制限措置に対して、日本が充分な科学的根拠がないと異議申立てを行い、捕獲制限に従わない意向を表明した為モラトリアムを不要としてきた米国の立場は著しく困難になり、米外務省担当官が「もしアメリカがモラトリアムを本当に追求することとなれば、適切な国際フォーラムに提起することになるだろう」と当時の在米日本大使館佐野宏哉一等書記官に対して示唆した[注釈 4]。その後、米国政府ではCEQ(環境問題諮問委員会)から持ち上がった捕鯨政策転換に同調した、ロジャーズ・モートン内務長官が1971年11月に十年モラトリアムの支持を公言した[注釈 5]、と人間環境会議に至る過程の米国内部の変遷を明かし、人間環境会議で米国が唐突に反捕鯨の提案を行ったとする見方を否定している。その結果、人間環境会議でスウェーデンのオロフ・パルメ首相は言及しないのが暗黙の了解とされていた中で、枯葉剤作戦を人道的見地および生態系破壊の面から非難するに至ったと考えられている[注釈 6][8]

1982年、反捕鯨国多数が加入したことでIWCで「商業捕鯨モラトリアム」が採択される。これは、NMP方式によるミンククジラの捕獲枠算定が、蓄積データ不足で行えないことを名目とするものである。この「商業捕鯨モラトリアム」は、1982年7月23日のIWC総会において採択された国際捕鯨取締条約附表に属するもの[12]であるが、1972年と1973年のIWC科学委員会において「科学的正当性が無い」として否決されていたもので、1982年においてはIWC科学委員会の審理を経ていないことから、国際捕鯨取締条約の第5条2項にある付表修正に要する条件である「科学的認定に基くもの」に反しており同条約違反で法的には無効であるとの立場を日本は取っている[13]
日本による商業捕鯨撤退と調査捕鯨

日本・ノルウェー・ペルーソ連の4カ国が異議申し立てをしたが、その後日本とペルーは撤回した。日本が1985年に異議申し立てを撤回したのは、米国のパックウッド・マグナソン法に基づいて同国の排他的経済水域内における日本漁船の漁獲割り当て量が大幅に削減される可能性があったためであった[14]

アメリカは日本に異議申し立てを撤回しなければ、アメリカの排他的経済水域から日本漁船を締め出すとの意向が伝えられたため、日本はやむなくモラトリアムを受け入れるかわりに、科学的調査として「調査捕鯨」を開始した[8]1988年に日本は商業捕鯨から撤退した。異議撤回の背景には、米国による水産物輸入停止などの制裁措置があった。同様の制裁措置は、1990年代にはアイスランドに対しても行われた。アイスランドは1992年以降一時IWCを脱退していたが、2003年にモラトリアム条項に異議ないし留保を付して再加入している。

1997年にアイルランドから「調査捕鯨を段階的に終了し全公海を保護区とする代わりに日本の沿岸捕鯨を認める」とする妥協案が提示され継続的に審議されたが、合意に至らなかった[15]

2000年頃にアメリカは、日本の調査捕鯨停止を求め、形式的ながら制裁を再度発動した。日本は沿岸捕鯨の復活を訴え続けてきたが、2007年のIWC総会でも認められず、政府代表団は「日本の忍耐は限界に近い」と脱退を示唆し、2018年平成30年)12月26日に、日本国政府はIWCからの脱退を通告した。
保護区、サンクチュアリ

モラトリアムとは別に1979年にはIWCでインド洋の保護区指定などが採択された。南極海については保護区とする付表修正が採択され、南太平洋と南大西洋についても、それぞれオーストラリアなどと南米諸国により保護区化が提案がされた。

なお、アフリカ諸国とラテンアメリカ諸国によって提唱されている南大西洋の鯨類保護区は、日本をふくむいくつかの捕鯨国が中心となって反対して設立が阻害されており、日本が国際捕鯨委員会を脱退した後の2023年の時点でも保護区の設立には至っていない[16][17]。後述の通り、日本による政府開発援助(ODA)を利用した捕鯨支持への「票買い」を批判したドミニカ国の元環境・計画・農水大臣であるアサートン・マーチン(英語版)も、南大西洋鯨類保護区の設立に反対する様に指示されたことを明かしており、大臣職の辞任はこれへの抗議であったとしている[18]
捕獲枠

1974年にIWCは鯨種ごとの規制である新管理方式 (NMP) を導入。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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