?婁
[Wikipedia|▼Menu]

産業

五穀麻布、赤玉、良質の(“?婁の貂”)を産出。主な食料調達手段は漁業で漁網や釣竿が見つかっている。次いで農耕や養豚、他には狩猟や養犬も行っていた。

晋代の記録では「馬がいるが騎乗はせず、牛[3]と羊がいないが、多くの猪(ブタ)を飼っている」とあり、家畜は彼らの財産であった。また、遺跡からは猪と共に多数の魚や犬の骨が発見されているが、牛や鹿など他の動物の骨はあまり見られない[4]
言語系統

?婁の言語について、中国の史書は「言語は独異」と記しており[5]、当時の東北アジアの中でも独特の言語を使用していたことがわかる。

魏志』東夷伝・?婁に「處山林之間,常穴居。大家深九梯。以多爲好。(山林のあいだに住んでいて、いつも穴居している。大きい家は深さがはしご九段ほどある。多いほどよいとされる。)」とある。穴居とはこの場合、地下に穴を掘って住む地下式の住居のことである。『北魏書』巻一〇〇・勿吉伝に「國に大水有り、ひろさ三里餘。速末水と名づく。その地、下濕なり。城を築き、穴居す。屋の形、塚に似たり。口を上に開き、梯を以て出入りす」とあり、勿吉にも、地下式住居があったことがわかる[6]三上次男は、こうした習俗が、その後同じ住地であったギリヤークコリヤークなどにもみられることを例証しており、例えば13世紀から15世紀のギリヤーク(乞列迷)について「平らな土屋に住んでいる。その屋の背に孔を開け、梯をもって出入りし、臥すのに草鋪(舗)をもってしている。これは狗の窩に類する」(『大明一統志』巻八九・女直の条所引「開原新志」)、15世紀から16世紀野人について「野人は北海の南、大江の西にいて、平らな土屋にすんでいる。四面に門はなく、〔屋根の〕穴竅は木革を用いてこれを覆っている。平常は屋の東の梯から上下し、死者は西の梯から上下する。たまたまこの習慣を失すると、重く罰せられる。臥籍には草を以てすること、まさしく狗?の如くである。乞列迷と隣りしている」(『遼東志』巻九・外夷・野人)と指摘している[6]。この野人について、島田好は、ツングース人は決して穴居せず、穴居するものは必ず古アジア族であるから、野人とはカラフトのギリヤーク人か、あるいはベーリング海沿岸チュクチ人、もしくは使犬コリヤーク人でなければならないが、ギリヤークはすでに乞列迷として記載されているから、これはコリヤークに違いないとしたが、三上次男はこれも乞列迷(ギリヤーク)の一種としている[7]。ただし、ここでの、古アジア族が穴居するとみる点は評価し、こうした地下式住居が古アジア族の特徴であるとして、?婁についても、古アジア族に連なるものとする[7]。一方、和田清は「三上教授は穴居こそ古アジア種族の特徴であるが、今日トングース民族は概して穴居しない。然るに?婁・勿吉黒水靺鞨は穴居するから、古アジア種族であらう、といふやうに言はれる。しかし穴居は今日陝西甘粛漢人もしてゐるし、我が国の原住民も或る種の竪穴に住してゐた。今日でも霧ヶ峰山麓の住民は多少の竪穴を掘ってゐるといふ。況して酷寒の北満に穴居の流行したのは寧ろ当然であつて、それが時代の進展と共に次第に廃止したのではないか。現にシホタアリン山中オロチは同じトングース種ながら今なほ時に穴居するといふではないか」として、?婁を古アジア族とみることに、また習俗を通して同一民族であることを考えることを批判している[7]

ツングース系説[8][9][10]。?婁がのちの女真族(ツングース系)であること、比較言語学的研究により粛慎系の語彙がツングース系に近いということ[11]から、古くから支持されてきた説であり、現在では発掘調査による出土品から日用品や居住形態、食生活の連続性が確認されており、?婁は女真の祖先であり、言語系統もツングース系とされる。ただし、史書において粛慎系と言語が異なるとされる夫余高句麗もツングース系とみられる[12]


古シベリア(古アジア)系説[9]。その独特の言語、習俗から、勿吉等の粛慎系の言語はツングース系ではなく、ニヴフ(ギリヤーク)などの古シベリア系ではないかとする説。セルゲイ・シロコゴロフ(英語版)[13]三上次男[14]などが提唱した。

脚注^ 『アルタイ語系 語言文化比較研究』3章2節
^ ?婁の言葉は夫余の言葉と違うため、一旦夫余語に通訳してから、漢語に通訳したものと思われる。
^三国志』では牛がいると記す。
^ 高凱軍『通古斯族系的興起』中華書局、2006年、50-51頁。 
^ 『魏書』列伝第八十八「言語獨異」、『北史』列伝第八十二「言語獨異」
^ a b 田中俊明『『魏志』東夷伝訳註初稿(1)』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 151〉、2009年3月31日、429頁。 
^ a b c 田中俊明『『魏志』東夷伝訳註初稿(1)』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 151〉、2009年3月31日、430頁。 
^ 日本国語大辞典『通古斯』 - コトバンク
^ a b 日本大百科全書『?婁』 - コトバンク
^ 日本国語大辞典『粛慎・稷慎・息慎』 - コトバンク
^ 白鳥庫吉『塞外民族史研究』岩波書店〈白鳥庫吉全集〈第4巻〉〉、1970年1月1日。 
^

セルゲイ・シロコゴロフ(英語版)「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている」セルゲイ・シロコゴロフ『北方ツングースの社会構成』岩波書店〈東亜研究叢書〈第5巻〉〉、1941年、285-287頁。 」

白鳥庫吉「『?貊は果たして何民族と見做すべきか』?貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう」白鳥庫吉『塞外民族史研究』岩波書店〈白鳥庫吉全集〈第4巻〉〉、1970年1月1日、536頁。 

井上秀雄「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう」井上秀雄『東アジア民族史 1―正史東夷伝』平凡社東洋文庫264〉、1974年12月1日、103頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4582802648。 

加藤九祚「高句麗は北扶余から発したというが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」加藤九祚『北東アジア民族学史の研究―江戸時代日本人の観察記録を中心として』恒文社、1986年3月1日、156頁。ISBN 978-4770406385


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:74 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef