押井版ルパン三世
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真夜中に列車が到着して、若い女の子が降りてくる[7]。ベアトリーチェを彷彿とさせる女の子は、普段は一人部屋で車いすの生活を送る建築家の孫娘で、建築家の12人の弟子の内、生き残った4人に世話を受けていた[20]

一方、酒場でのポーカーに大儲けしたものの袋叩きに遭い、パンツ一丁のルパンと次元が道々話す。「そろそろ何かやろうぜ」と次元が促すも、ルパンは世界中にもう盗むモノが無くなり、怪盗としてのアイデンティティを喪失、「今更何をやるんだ」とやる気をなくしていた。そこに駅で降りた女の子が来て何やら不可解な依頼をする[7]

依頼は、伝説では現実と非現実の狭間にあるようなものである「天使の化石」を盗むこと。大戦中にアフリカで発掘された後、ナチスの手に渡って、そしてイスラエルに渡り、なぜか日本に持ち込まれている[7]。塔で殺人事件が起こり、写真に「女の子の白い手」が写っていたことで、ルパンはこの謎に挑もうと塔に忍び込む[20]

塔の内部には、白い羽が床に散っていたり、小動物の死骸があった[20]

不二子の調査で、女の子は建築家の孫娘ではないことがわかる。実はその正体は「天使」であり、人間をからかう様に殺していた[20]

最終的にルパンは「天使の化石」を捜し当てたものの、それは天使の化石ではなくただの「プルトニウム(原子爆弾)」だった。それにルパンが触れてしまったことで大爆発を起こし、東京が壊滅する[7]

しかし、実際には作動しない原子爆弾で、すべてがフェイクだった。だからルパンだけが現実であり得るわけがない。ルパンもフェイクであった[7]

そう、最初からルパンなんていなかったのだ[7]

不二子がインドにて、女の子の墓を見つける。「子供の頃に亡くなっていた」という真実を知り、不二子は「あの子は誰なの?」と呆然とする所で幕が閉じる[21]
予定されていたスタッフ

監督 - 押井守
[22]

脚本 - 押井守、伊藤和典[22]

アート・ディレクション - 天野喜孝[22]

美術監督 - 小林七郎[23]

画面構成 - 金田伊功[22]

キャラクターデザイン・作画監督 - 加藤茂[24]

原画 - 森山ゆうじ山下将仁北久保弘之森本晃司庵野秀明[22]

演出助手 - 片山一良[22]

キャラクターデザインの候補には梅津泰臣もいた[25]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1984年に公開された、『うる星やつら』の劇場版アニメ第2作。この作品は押井の出世作として知られる。なお、公開後に押井は放送中であった『うる星やつら(1981年版アニメ)』のチーフディレクターを降板、さらに当時所属していたスタジオぴえろを退社し、独立した。

出典^ a b 押井守、宮崎駿、大塚康生「"時代"に斬り込む『ルパン』を作りたい」『アニメージュ』1984年10月号、pp.35-36
^ 押井守『押井守の映画50年50本』立東舎、2020年、p.159
^ “ ⇒『スカイ・クロラ』公開記念 押井マニア、知ったかぶり講座! 第8回 幻の映画その1「押井ルパン」の真相”. WEBアニメスタイル. 2020年10月10日閲覧。
^ 「押井守、宮崎駿を語る」SIGHT VOL.10 WINTER 2002、p.52
^ 「【対談】押井守×梅澤高明(A・T・カーニー日本代表) 自己実現は社会との関わりでしか達成できない」『仕事に必要なことはすべて映画で学べる 映画監督 押井守』日経BP社、2013年、p.273
^ 文 押井守、イラスト 天野喜孝「映画『ルパン三世』制作おぼえがき」『アニメージュ』1984年12月号、pp.38-39
^ a b c d e f g h インタビュー押井守 幻の押井ルパンは『虚構を盗む』はずだった」『THEルパン三世FILES ルパン三世全記録 ?増補改訂版?』キネマ旬報社、1998年、p.35


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