『うる星やつら』のテレビシリーズのチーフディレクターなどを担当し「視聴率男」の異名をとった。1983年『うる星やつら オンリー・ユー』で劇場映画監督デビュー。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のあとフリーに。『天使のたまご』を制作した後、『機動警察パトレイバー』シリーズにアニメ監督として参加。『機動警察パトレイバー the Movie』、『MAROKO 麿子』、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』などの劇場作品を手がける。
1995年に発表した『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 は日本の映像作品史上初の米ビルボード誌のビデオ週間売り上げで1位を獲得[6]。2004年に発表した『イノセンス』はアニメ映画作品史上初の日本SF大賞を受賞し、日本のアニメーション映画としては初のカンヌ国際映画祭オフィシャル・コンペティション部門出品作品となった[7]。『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』はヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。アニメ制作では他に『ダロス』で世界初のOVA、『Kick-Heart』で日本アニメ初のクラウドファンディングに挑戦している。
実写映画制作にも積極的で、1987年『紅い眼鏡/The Red Spectacles』で実写初監督。『Avalon』はカンヌ国際映画祭、『立喰師列伝』はヴェネチア国際映画祭、『真・女立喰師列伝』はベルリン国際映画祭にそれぞれ正式出品されている。
ジェームズ・キャメロン、ウォシャウスキー姉妹、クエンティン・タランティーノ、ギレルモ・デル・トロなど世界的クリエイターに影響を与えた[8](詳細は#人間関係を参照)。ハリウッドからの企画で『Halo Legends』や『Sand Whale and Me』の監督を務めている。2016年度米アニー賞において、生涯功労賞にあたるウィンザー・マッケイ賞が授与された[9]。
個人事務所は有限会社八八粍。事務所所在地は東京都港区虎ノ門。押井自身の全額出資によって設立された。プロデューサーには石川光久、鈴木敏夫、石井朋彦と組むことが多い。若手育成のためProduction I.G社内で「押井塾」を主宰するなどしている。
姉は舞踏家の最上和子。映画ライターの押井友絵は前妻との間にもうけた長女。押井友絵は2006年に小説家の乙一と結婚している[10]。 東京都大田区大森出身[2]。母親が後妻だったため、年の離れた腹違いの兄と、下の兄、姉の四人兄弟の末っ子として生まれる[2]。父親は山形出身で、興信所を開き、私立探偵として浮気調査などをしていた[11]。飲んだくれだったが、映画好きで、幼い押井を毎日のように映画館に連れていった[11]。母親は洋装店を経営しており[11]、収入はもっぱら母によるものだった[12]。小学校の高学年の頃から父から英才教育を施されたため、体育以外の学科の成績は全て5であったが[13]、中学受験には失敗し、その後父親の教育熱は冷めたという[14]。中学時代にはSF小説に熱中し、SF小説家を志すようになる[15]。 東京都立小山台高等学校入学後、不登校がちになる代わりに学生運動に熱中[16]。私服警官が家を訪れる事態にまで至り、危機感を持った父親によって高校最後の夏に大菩薩峠の山小屋に軟禁されることになる[17]。
来歴・人物
生い立ち