抹消された世界遺産
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この資産の審議にあたり、世界遺産委員会の諮問機関(自然遺産分野)である国際自然保護連合 (IUCN) は、保護管理面の不備を理由に「登録延期」を勧告したが、委員会でオマーン代表がしかるべき対応をとることを約束したことから登録が認められた[7]

ところが、オマーン政府は2007年1月に、自然保護区の範囲を27,500km2から2,824 km2へと大幅に縮減した[8]。実に約90 %におよぶ縮減である。この背景には天然ガス石油などの資源開発優先の意向があった[9]。この縮減は世界遺産委員会に無届けで行われたものであり、IUCNは世界遺産としての顕著な普遍的価値が失われたとして、「抹消」を勧告した[7]

委員会では抹消に躊躇する意見も複数出され、投票に持ち込まれたものの、抹消支持は13票で決議に必要な3分の2(21か国中14か国以上の賛成)に届かなかった[8]。その後、ワーキンググループによる検討を経て、再び委員会審議になり、委員国から以下のような反対意見が寄せられた。顕著な普遍的価値が損なわれ、単に一覧表から削除するだけなら、世界遺産委員会は一体何のためにあるのか ? インド代表[10]これは遺産保有国だけでなく、世界遺産委員会の失敗であるとも言えよう。削除する前にできるだけの努力をするべきである ? 日本代表[10]

しかし、オマーン当局が開発優先の意向を堅持したため、抹消と決議された[7]。なお、登録時点で改善を約束した代表者と、抹消時点で開発優先を明示した代表者は同一人物である[7]。これが世界遺産リストから抹消された初の事例である。
ドレスデン・エルベ渓谷詳細は「ドレスデン・エルベ渓谷」を参照ドレスデンの夜景ヴァルトシュレスヒェン橋と周辺の景観

ドレスデン・エルベ渓谷は、ドイツの世界遺産の一つとして2004年に登録された。18世紀に「エルベ川フィレンツェ」の異名をとった歴史的な都市ドレスデンとその周辺、ユービガウ城(ドイツ語版)からピルニッツ城(英語版)までのエルベ川沿岸約18 km が対象であった[11]。ドレスデンには、18世紀にはマイセンで築いた巨富を背景に華々しい建造物群が建てられ、19世紀には工業都市として成長する中でネオ・ルネサンス様式ゼンパー・オーパー(歌劇場)などが建てられた[11]。世界遺産としては、ドレスデンとその周辺に残る歴史的建造物群のみならず、周辺の自然と一帯になった文化的景観としての登録であった[12]

しかし、ドレスデンには第二次世界大戦以前から大規模な架橋計画が存在していた[13]。その具体的な建設に向けた住民投票が2005年2月に実施され、橋(ヴァルトシュレスヒェン橋)の建設が決まった[7]。そこで、翌年の第30回世界遺産委員会で危機遺産リストに加えられるとともに、建設が開始されたならば、世界遺産リストからの抹消もありうると決議された[14]

ドレスデンの住民投票では、賛成した場合に世界遺産リストから抹消されうるという危険性が周知されていなかったとして、若年層を中心に反対意見が出されることとなった[15]。また、委員会の決定を受け、ドレスデンの市議会では建設中止が決議されたが、これを州政府が拒否し、ザクセン州裁判所と連邦憲法裁判所も支持した[7]。しかし、すぐさま建設が強行されなかったことから、2007年の第31回世界遺産委員会では、ひとまず結論は先送りとされた[7]。この時期のドイツでは、世界遺産委員会の姿勢に対する不満なども報じられていたという[16]

第32回世界遺産委員会(2008年)の時点で既に工事が始まっていたが、ドレスデン市当局が計画の変更などを模索している旨の報告があり[17]、建設の撤回とすでに着工された部分の復元を条件になおも1年の猶予が与えられることとなった[18]。しかし、ドレスデン州議会が建設の推進を決議し、2008年11月に上部構造の建設が始まると、もはや不可逆の状態に至ったものとして、翌年の第33回世界遺産委員会で抹消が決議された[19]。第32回の時点で着工されていたこともあり、この第33回委員会では抹消やむなしという雰囲気があったという[20]。形式的にオマーン当局による要請という形になったアラビアオリックスの保護区と異なり、世界遺産委員会が主体的に抹消を決議した最初の事例である[19]

決議では付帯事項として、文化的景観としての完全性は損なわれたものの、顕著な普遍的価値を有する部分も残ることから、異なる資産範囲と価値基準での再推薦を妨げない旨が盛り込まれた[21][22]。なお、問題となったヴァルトシュレスヒェン橋は、2013年8月に開通しており[23]、再推薦は当然これを除外したものとなるはずである。しかし、その具体的な区域設定には難航も予想されている[24]。少なくとも、第39回世界遺産委員会(2015年)終了時点では、ドイツの暫定リスト(世界遺産推薦候補)18件にドレスデン関連は含まれていない[25]
海商都市リヴァプール詳細は「海商都市リヴァプール」を参照歴史的なレンガ倉庫や教会に現代建築が入り込んできた

海商都市リヴァプールは2004年に登録されたイギリスの世界遺産で、18?19世紀に整備された港湾施設(係留護岸・船渠・荷揚げ後の運送・倉庫・商取引所など)と船乗りのための教会、パブコーヒー・ハウスなどの商業施設が往時のまま残されている点が評価されたが、再開発により現代建築が混在するようになり、著しく景観が損なわれ、都市環境破壊であるとし2012年に危機遺産リスト入りした。

リヴァプール市の再開発は、世界遺産登録前後からガラス張り外観の高層ビル建築が相次ぎ、登録審査の際にも問題視された。決定的になったのは、地元のサッカーチームリヴァプールFCのホームスタジアムであるアンフィールドの建て替え移築計画が世界遺産登録地に食い込む区域であることが2012年に発表されたことに端を発する。翌年には廃止(解体・埋立)された船渠を復元する計画が承認されたが、その復元方法が現代的であるとして指摘され、「歴史的経緯・背景がある改修・移築(elapsed repair/dismantle)」の評価と原初の状態に戻すことの意義について注目されることになった。その後さらに運河沿いに住宅・ホテルや文化ホールの建設計画も俎上した。特に文化施設はユネスコの創造都市ネットワーク登録地でもあることから、その運営のために必須のものであるとした[26]

イギリス政府デジタル・文化・メディア・スポーツ省)や市は、建設計画に関して高さ制限や外観意匠を周囲に馴染ませたトラディショナル・サクセション・アーキテクチャにする設計変更など妥協案を示してきたが[27]、「都市再開発は都市の世界遺産における必然的命題で、リセールバリューしなければ住民の生活向上や世界遺産維持の費用も捻出できない」とし再開発計画は継続するとした[28]


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