折笠愛
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小学2年生の時に家族で劇団民藝の『夕鶴』を観て感銘を受けたのが演劇を意識した初めである[14][15]。子供の時から人と喋ることが苦手で引っ込み思案だったが、小学2年生の時の学芸会の創作劇の主役のウグイスの役を演じ、舞台女優を志す[3][6][16]。その時の芝居で体育館の中でライトに照らされ、皆が演者を見てくれて、たくさんの拍手をもらい、その快感が芝居のルーツで子供ながらに強く感じ、その芝居をきっかけに窮屈だったが、開放できたのだと語る[14][16]。芝居の中で「生きられる自分」というものに魅力を感じ、芝居だと思い、その後は「お芝居をやりたい、舞台に立ちたい」という方向性で生きているという[16]。それ以来芝居の影響で、国語の予習をし始めたりしたため、成績も少し良くなり、勉強もするようになったという[16]。中学、高校時代は演劇部に所属しており、部長を務めた[6]。中学時代は掛け持ちでコーラス部、高校時代はリボンフラワー部にも所属していた[16]。高校時代は体操部にも所属したかったが、「身長が伸びなくなるよ」と言われて断念した[15]1982年に高校卒業を経て、日本電子工学院(現:日本工学院専門学校)演劇科を卒業[1][13]。当時は洋舞、タップダンス、クラシック、声楽などを学び、日本舞踊は先生の内弟子のようなことも少しして、一時、集中して習うほど熱心だったという[14][16]

その後は、家庭の事情で芝居をやめて家のお手伝いなどをしていた[17]
キャリア

半年も経たないうちに沸々と「私の道はこれではないんじゃないか」、「また私の中の芝居をしたい」と思うようになり、新聞に載っていた「子供に見せるミュージカルの出演者募集」に応募して「子ども劇場」に入団[17]。オーディションを受けていたところ主役に選ばれ[6]、その後は劇団文芸座、劇団創演、フリーで女優として舞台に立つ[3]

JRが企画した舞台『伊豆の踊り子』の踊り子役に抜擢され、並木史朗舟木一夫らと共演[14][17]。この時に使った芸名は大島 由季仔[10][18]。しかし大人が反応する芝居をしたくなり、個人で挑戦したりもしたが、それでは食べていけず、子ども劇場を5、6年続けていた[6][17]。悩みを感じ出していた時に舞台で共演していた緒方賢一大山高男に勧められて[3][14]、見に行っていたぷろだくしょんバオバブマネージャー(当時)兼声優のたてかべ和也に「折笠いいねえ!」とぷろだくしょんバオバブに所属[6][17]。舞台でも少年役、ジュール・ルナールの『にんじん』を演じることがあり「声優としてもできるのではないか」ということで、たてかべがオーディションの枠で持っていたテレビアニメ『小公子セディ』のオーディションに参加[6][11][14]。オーディションでの何度かの選考を経て、1988年に主人公・セディ役で声優としてのデビューを果たす[1][3][7][11]。当時は一生懸命演じている声優たちに無知で、「やりたい」と思うほどの魅力もわかってなかった[6]。声で意識していたのはラジオの『JET STREAM』の城達也で、夜中に聴いて「ステキなお声」と思っていた程度だった[6]。声優業界のことも皆無なくらい無知だった[6]。折笠によれば、『セディ』のオーディションにおいて自身の他に高山みなみ林原めぐみが最終選考に残っており、自分が主人公のセディに抜擢されたことについて折笠は、「私が一番素人というか、新鮮だったんだ」と語っている[6][11]

声優の業界に入って最初に感じたのは、「私はなんて下手なんだろう!」だった[11]。それまでは、舞台をしていたことから職業としての声優は「簡単、すぐできるなんて」、「私は結構上手くできるんじゃないか」、「舞台でやっていることが声でやれないわけがない、お茶の子さいさいでできるな」と変な自信はあったという[6][11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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