声優の業界に入って最初に感じたのは、「私はなんて下手なんだろう!」だった[11]。それまでは、舞台をしていたことから職業としての声優は「簡単、すぐできるなんて」、「私は結構上手くできるんじゃないか」、「舞台でやっていることが声でやれないわけがない、お茶の子さいさいでできるな」と変な自信はあったという[6][11]。
一番難しかったのはマイク前で喋る作業を一切経験していないままオーディションに向かい、主役だったため。マイクとの距離感すらわからなかった[6]。アニメのキャラクターが振り返る時に息を入れたりすることには「なんで振り向くだけでそんな息を入れないといけないんだろう」など言われたことに対していちいち「なぜ?」と身体が全否定していたという[6]。
放送が始まって半年くらいは上手くいかず、「ヘタクソだな」と毎回下唇を噛んでいた[6]。オンエアを見て、あまりの下手さに愕然とし、他の声優はとても上手いわけで自然に演じているわけだった[11]。その中で飛びぬけて下手に感じ、声優としての格闘が始まった[11]。
大失敗で言えば、当時は泣かせるシーンが多かったが、テストから泣くと、本番でも最初の元気で明るいシーンから鼻声になり、失敗がたくさんあった[6]。
下手ではずかしく、最初の1年は毎日「明日この業界やめてもいい!」と声優を辞めてしまいたいくらいだったという[6][11]。
職業としての声優の舞台とは違う演技の技術がなかなかできず、プロとして引き受けた以上、1年は辞められず、「意地でもなんとかしなければいけない」と思った[11]。「このまま負けたままで辞めるわけにはいかない」と思い、悔しく何度もオンエアを見て泣いたりしてた[11]。舞台で演じることとの違いと、お金をくれたことの厳しさを改めて感じていた[11]。
当時は「本当は舞台をやりたい」という気持ちもあり、「私ががんばれる場所じゃないかもしれない」と毎夜枕を濡らしていた[6]。『セディ』では視聴者からお便りをくれて、風邪を引いて収録していたところ「折笠さん大丈夫ですか?」と気遣ってくれていた[6]。「画面を通して全国の方々が応援してくださっている」と感じるようになり、嬉しさと不安が常に背中合わせで、今日は「ダメだ」、明日は「前に進もう」と、日々忙しく葛藤していたという[6]。
「折笠愛」という芸名には、「みんなに愛されるように」という願いが込められている。これは彼女の芸名を考えている途中にトイレに行ったスタッフが、その中で思いついたとのこと[19]。デビュー作の『小公子セディ』の時に、折笠とスタッフとで色々と考えていた[10]。その結果、『小公子セディ』以前に『愛少女ポリアンナ物語』、『愛の若草物語』と世界名作劇場では「愛」の文字が付くタイトルが続いたため、「芸名をつけるなら『愛』のつく名前はどうだろう……」ということで、この名前が付けられたという[10]。
アニメで演じてきたキャラクターの中では、『天地無用!』シリーズの「魎呼」を最も思い出深いキャラクターに挙げている。また、海外で制作されたドラマや映画やアニメの吹き替えもこなし、他にも歌手としての活動も行ってきた。
歌手活動については前述のとおり、学生時代、コーラス部におり、少々自信を持っていたが、レコーディングをして歌を聞いていたところあまり上手くなかった[11]。プロとしてお金をもらっている以上なんとかしなくてはいけないわけだった[11]。演じることも歌うこともあんなに好きだったはずだが、プレッシャーでだんだん楽しくなくなってきてしまい、「これがプロの厳しさかな」と感じていた[11]。
2015年時点では「今日のでよかったかな?」と反省したり考えたりしない日はなく、「まだ自分はできあがってはいない」と語る[6]。3年くらいした頃にはなんとなくスタジオの中の空気を吸うこと、その場に座ってること、仲間たちとの関係性、先輩への想いなどがようやくしっくりした感じだったという[6]。