投資信託は、運用を外部に委託する仕組みであるため、購入時、運用期間中、解約・買取請求時に所定の手数料(コスト)がかかる。ノーロード普及まで、料金システムは顧客との公平性をめぐり何十年も議論された[9]。主な手数料は下の通りである。 投資信託の分配金とは、投資信託の決算時に信託財産の一部から受益者に還元されるものである。信託財産の還元なので、定期預金の利子や株式の配当金とは性質が異なり、分配金が出るとその金額だけ基準価額が下がる。基準価額が個別元本を上回る部分の分配金は普通分配金となり課税扱い、基準価額が個別元本を下回る場合は特別分配金(元本払戻金、元本の一部払戻しに相当する部分)として非課税扱いになる。なお、自動再投資を選択しても普通分配金は課税され、課税後の金額が再投資される。 一般に多くの日本の個人投資家は(元本保証と)分配金にこだわり、投資信託を販売する側も分配金の多寡や予定・頻度を強調するが、特に「特別分配金(元本払戻金)」は自分で拠出した投資資産から払い戻す「タコ足配当」に他ならず、その投資資産も投資信託購入時の販売手数料と信託報酬が差し引かれた後の残金であり、拠出額から既に目減りしていることには関心を払わない傾向がある。このような分配金を再投資しても、普通分配金なら分配時点で課税され、例えて言えば銀行のATMで出金した現金をそのまま再預金するようなもので、時間外引き出しの手数料が徴収されることが普通分配金に課税されることに相当し、その分複利効果が薄れるので実質的には損をすることになる。一般に、定期的な分配金による生活費の安定した確保などが目的でなく、長期的な資産額の増大を目的とするならばむしろ分配金などなしでひたすら基準価格の上昇に注目するなど、投資の目的に応じて分配金と基準価格の値上がりを総合して評価するべきであると言われる[11][12]。 投資信託はイギリス発祥の国際金融手段とされる[13]。1868年、海外植民地投信(Foreign & Colonial Investment Trust
販売手数料
投資家が投資信託を購入する時に販売会社が徴収するもの。同じ投資信託であっても、購入金額や取り扱い金融機関により手数料額が異なる場合がある。かつては搾取のため「フロントロード制」が横行した。またこれを徴収しない販売会社もあり、そのような投資信託はノーロードファンドと呼ばれている。「販売」ではない分配金の自動再投資の場合は無手数料で購入できる場合がほとんどである。また、販売手数料が必要な投資信託であっても、後日手数料をキャッシュバックすることで実質的な手数料の割引や無料化を行っている販売会社もある(バックロードやエグジットロード)。同じ販売会社でも、窓口購入とインターネット購入では手数料率が異なるところもある。
信託報酬
投資信託の運用期間中、運用会社と販売会社が徴収するもの。年間の徴収率(0.1%?2%程度)があらかじめ定めてあり、信託財産の純資産総額から毎日差し引く形で徴収される。販売手数料と違い、所有額や販売会社による差異は生じない。基本的に、投資対象が債券より株式、日本よりも海外(特に新興国)に投資するもの、投資対象を長期に渡って保有するパッシブ型・インデックス型より投資先を頻繁に変えるアクティブ型の方が、信託報酬が高くなる傾向がある。基準価額は信託報酬を差し引いた後の価額で表示されるため、受益者が意識する事は少ない。いわゆるファンドオブファンズ形式の場合は、マザーファンドにおいても信託報酬が徴収されていると、ベビーファンドで信託報酬が「〇〇%程度」とはっきり決まらないことがある。
信託財産留保額
投資信託の売却・解約時に徴収される費用。信託財産留保額がかからないものも多く存在する。信託財産留保額は信託財産の中に残り投資信託を保有している受益者に還元されるため、販売会社や運用会社に支払う手数料ではない。これは、解約に伴い信託財産の一部である株式や債権などの原資産を売却するときの費用を信託財産から支払うことになるので、他の受益者に対する迷惑料として説明される[10]。
解約手数料
ほとんどの投資信託では、解約時に手数料を徴収されることはない。ごく一部(公社債投資信託など)の投資信託では手数料が発生する場合がある。
税金
投資信託そのもののコストではないが、解約時の基準価額が個別元本を超えて利益が出ている場合は、利益に対して所得税が課せられる。ほとんどの場合、税金は販売会社が計算して解約時の受取額から差し引かれる。取引時に源泉徴収を行わないようにしていると、確定申告などで所得税額を計算し納付しなければならない。
分配金
インベストメント・トラスト
インフレヘッジを必要としたヴァイマル共和政の1923年、ヘルマン博士(Hermann Zickert
)がベルリンに投信的な組合をつくった(Deutsche Kapitalverein)[注釈 15]。フランスでも投信の先祖が1925年から1929年にかけて4つできた。この5つは世界恐慌で全部なくなった。そこから先、投信は国際資本としてアメリカに定着した。しかしユーロカレンシーが1960年代に大きな国際市場をつくった。その背景として、戦後のドイツ・フランスもアメリカとあわせて知る意味がある。国際社会が一斉に逆コースを向いた1949年のことである。ドイツのコメルツ銀行がバイエルン合同銀行などと共同出資で、投信を運用する管理会社を設立した(Allgemeine Deutsche Investment Gesellschaft mbH)。フランスでも国営の運用会社が誕生した(Societe Nationale d'Investissement, cf. Maghrib)。その原資はドイツなどが所有したフランス企業株式であった[15]。
1952年6月30日法により先のフランス国営運用会社に対する税制上の不利がなくなり、同年から民営の投信会社も成長した(Societe d'investissement a capital fixe, SICAF)。1956年ドイツ銀行がシンジケートの他13行と合弁で管理会社を設立した(Deutsche Gesellshaft fur Wertpapiersparen mbH)。翌1957年ドイツ政府がオープンエンドの契約型投資信託を制度化した(投資会社法)。フランスは1957年12月28日法でSICAFをSICAVに改組、同時にFCPも設立させた(Fond commun de placement)。同法のもと、1963年9月20日に規則が定められ、翌1964年にSICAV6社が営業をスターとした(オフショア金融センターで組成)。1968年ドイツで、保険会社や年金基金といった一部の機関投資家だけを対象として受益証券を発行する私募投資信託が設立された(スペシャルファンド)。事実上のFOFがドイツに初めておかれたのであった。1979年フランスのFCPがやっと開業した。フランスは1980年代に価格維持規定がないMMFを導入した。1988年12月23日法ではSICAFとFCPを合体させて、ECパスポートを付与した(Organisme de placement collectif en valeurs mobilieres, OPCM)。再統一まもない1990年、ドイツは投資会社法を改正した。そして1994年にMMFを解禁した。1998年FOFやインデックスファンドを導入し、デリバティブの投資対象も拡大させた[15]。
1988年のスペシャルファンド運用業者は、ドレスナー銀行の出資するDBIと、ドイツ銀行の出資するDEGEFが最大手、それぞれ160億マルクを運用していた。コメルツ銀行本体が第三位で73億ドルだった。スペシャルファンドの投資規制は緩い。銀行預金は総資産の5%まで。同一銘柄の株式・債券は5%まで。年金を除いて海外証券に関する規制は存在しない。1993年SICAV運用業者はシェアランキングでクレディ・アグリコルが首位(13.9%)、ソシエテ・ジェネラルが二位(9.6%)、ケス・デパーニュが三位(9.5%)、BNPとパリバはそれぞれ四位(8.7%)と八位(5.1%)であった。