アリストテレス哲学では、技術は《知識 エピステーメー》と同義であり、《ある事柄を原因から認識する一般的知識》だとされる[6][9]。(技術と似たものに「経験 エンペイリアー」があるが、これは事柄についての単なる習熟だとされる[6][9]。) 特にアリストテレスの『ニコマコス倫理学』によると、技術は《創造的方法について考究する働き》であり、《真の理知(ロゴス)を伴う制作能力》である[5]。すなわち技術は単なる知的能力ではなく、《学問的かつ経験的で普遍的かつ個別的な真理認識の能力》だとされる[5]。ハイデッガーの著名な解釈によると、ここでの「技術」とは《制作による一定の真理解明》(エントベルゲン Entbergen)だと言う[5]。
なおアリストテレスの言う《知識》は、理論知と実践知とに区別されることもある[6][9]。後者は近現代的な意味での「技術」へと繋がっていった[6][9]。 《技術学》または《テクノロジー》は、啓蒙主義・機械論(機械論的自然観)・民主主義等の影響下で発生した[4]。かつて18世紀ドイツのゲッティンゲン大学では、技術的学問として「技芸史」が存在していた[4]。(ドイツ語ではクンストゲシヒテ(Kunst Geschichte)、英語ではアートヒストリー(art history)[4]。) そこへ影響したのが、啓蒙主義や機械論だった[4] ―― すなわちフランシス・ベーコンやディドロやダランベール等による、自然哲学的・自然史的な技術研究が影響した[4]。これにより、技芸史は1772年に《技術学 テヒノロギー(Technologie)》へと革新された[4]。技術学は英語圏の「テクノロジー(technology)」に相当し、そしてアメリカのジャクソン流民主主義時代から普及していった[4]。 なお原義から辿れば、技術学(テクノロジー)と工学(エンジニアリング)は異なる[4]。工学の語源はラテン語のインゲニウム(ingenium)で、《発明》・《天才の所産》を意味する[4]。そうした成立経緯があるため、現代の大学や学会で「工学」は《特殊な職業人的な教育と研究》を意味する[4]。一方で「技術学」の由来は、職業教育を求めないゲッティンゲン大学の《一般的教育》であり、この大学は《自由な教授と学習》を誇っていた[4]。そうした特徴は現代の技術学にも及んでいる[4]。 同時に、各言語で「技術」と「技術学」が混同されている[4]。それでいて通常、英語では「テクノロジー」(technology)が、日本語では「技術」が使われることが多い[4]。山崎は.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「この混同は、「技術」とは何かという本質的な問題を論ずるときに混乱となる。
近代の技術 ― 科学技術