石器時代において、人類はその生活の中でほとんど道具を使わず、数少ない道具は代々受け継がれていった。そんな時代でのテクノロジーは、その環境におけるサバイバルや狩猟や食料採集と深く結びついていた。この時代の主な技術的進歩としては、火、石器、被服がある。石器時代の文化としては(原始的な)音楽があり、文化と文化の衝突として戦争があった。一部の石器時代人は大洋航海可能なアウトリガー付き船舶技術を開発し、マレー諸島を越えインド洋を横断してマダガスカルに移住したり、太平洋を横断したりした。これには、海流、天候、帆走術、天文航法、星図といった知識や技術を必要とする。石器時代初期は、亜旧石器時代または中石器時代と呼ばれる。前者の用語は氷河の影響が限定的だった地域での石器時代初期を指すことが多い。初歩的な農耕技術が開発された石器時代後期を新石器時代と呼ぶ。この時代の磨製石器は、燧石、ヒスイ、ヒスイ輝石、緑色岩などの硬い岩石から作られ、当初は地表に露出した岩盤を採石場にしていたが、後に貴重な石を求めて穴を掘って探すようになり、鉱業技術の始まりとなった。磨製石器の斧は森林を伐採して農地にするのに使われ、非常に便利だったため青銅器時代や鉄器時代になっても使われ続けた。
旧石器時代の文化では、何かを書いて記録を残すということがなかったが、狩猟採集の放浪生活から農耕を基盤とした定住生活への転換は考古学的証拠からある程度推定できる。証拠としては例えば、太古の道具[1]、洞窟壁画、ヴィレンドルフのヴィーナスなどの先史時代の芸術品がある。人骨やミイラも直接的な証拠を提供する。具体的な証拠は少ないが、先史時代の人類の生活様式とその生活においてテクノロジーが果たした役割について、科学者や歴史家は有意な推論を形成することができた。
青銅器時代青銅器時代後期の剣または短剣
石器時代は新石器革命を経て青銅器時代へと発展した。新石器革命とは農耕技術の劇的変化であり、農耕の開始、動物の家畜化、定住などといった事象を含む。これらの要因の組合せにより、銅の精錬、さらにはスズと銅の合金である青銅の精錬が開始され、道具の素材として使えるようになった。ただし、磨製石器も原料が金属より遥かに入手しやすいことから(特にスズは入手が困難)、青銅器時代に入ってからも長く使われ続けた。
このテクノロジーは明らかに肥沃な三日月地帯で始まり、時と共に広まっていった。なお、石器⇒青銅器⇒鉄器という発展は常にそうだったわけではない。特にユーラシア大陸以外でのテクノロジー史ではこれは正確ではないし、特にオーストラリア(スピニフェックス人)、アンダマン諸島(センティネリーズ)、アマゾン川流域の様々な部族など孤立した地域では全く当てはまらず、石器時代のテクノロジーを現代まで使い続け、農耕も金属器テクノロジーも開発しなかった。
鉄器時代スウェーデンの鉄器時代の鉄製斧
鉄器時代になると、鉄の精錬テクノロジーが登場した。鉄は青銅を置き換え、道具も青銅器より強いものが安価に作れるようになった。ユーラシア大陸の多くの文化では、鉄器時代の次の段階として書き言葉としての言語が生み出されたが、これも常にそうなったとは言えない。鋼は高温の炉を必要とするため大量生産できなかったが、鉄を鍛造することで炭素含有率を適当な値に減らし鋼を作ることができた。鉄鉱石は銅やスズよりも広範囲で産出する。ヨーロッパでは、戦争中の避難所あるいは定住場所として大きなヒルフォートが建設された。時には、青銅器時代から存在した砦を拡張した。鉄の斧を使うことで森林を伐採する速度が上がり、増大する人口に食料を提供するための農地としていった。
紀元前1000年から紀元前500年ごろまで、ゲルマン人は青銅器時代だったが、ケルト人は同じころ鉄器時代に入っており、ハルシュタット文化が生まれていた。それらの文化は古代ローマと軍事的にも農耕の慣習上でも対立したが、ヨーロッパ人はローマ人の技術的優位によって征服された。 テクノロジーとエンジニアリング[要曖昧さ回避]において最も大きな進歩を成し遂げたのは古代文明の時代であり、それが周辺の社会にも刺激を与え、生活と統治の新たな手法が採用されていった。 古代エジプト人は、建設における斜面の利用など、様々な単純機械を発明して使っていた。インダス文明は資源豊富な地域に生まれ、早くから都市計画を行い、衛生技術が発達した。古代インドは航海技術も発達させており、モヘンジョダロから帆船を描いたパネルが見つかっている。ヴァーストゥ・シャーストラはいわば古代インドの建築学であり、材料工学、水文学、衛生についての完全な理解が基盤にあることを示唆している。 中国でも世界初の発明や発見が数多くなされてきた。中国発祥のテクノロジーとしては、初期の地震計、マッチ、紙、鋳鉄、鉄製の犂、多条播種機
古代文明
古代ギリシアやヘレニズムの技術者は様々なテクノロジーを発明し、既存のテクノロジーを改良した。特にヘレニズム時代は新しいアイデアに寛容で王室が技術や学問の育成を行ったため、ムセイオンとアレキサンドリア図書館が作られ、技術的独創性が開花した。それ以前の発明者の名は不明だが、この時代になると、アルキメデス、ビザンチウムのフィロン[注釈 1]、アレクサンドリアのヘロン、クテシビオスといった発明家の名が今も残っている。