批判的思考
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論理的な間違い

論理的な間違いの種類としては以下の通り。

誤った二分法。「白黒思考」(black-and-white thinking) ともいわれ、過度な単純化による二者択一は問題とされる[9]

全称の誤用 (false universal): 例外を無視した一般化で「例外の撲滅」ともいわれる[9]。「誰もAを支持しない」の「誰も」は例外を無視している[9]

合成の誤謬 (fallacy of composition):

「ある部分がXだから、全体もX」という議論[9]

分割の誤謬 (fallacy of division)

「全体が X だから、ある部分も X」という議論[9]

三段論法の基本的な間違いとしては以下のものがある[9]

媒名辞不周延の誤謬 (fallacy of the undistributed middle)

後件肯定の誤謬 (affirming the consequent)

前件否定の誤謬 (denying the antecedent)


循環論法 (circular reasoning)、論点先取 (begging the question): 証明で真偽不明の前提を使ってしまう論理的誤りを論点先取といい、それが循環論法をひき起こす[9]

未知論証(argument from ignorance, ラテン語でargumentum ad ignorantiam): 前提がこれまで偽と証明されていないことを根拠に真である、あるいは前提が真であるということが証明されていないので偽であると主張する誤謬[9]

帰納法関係の誤謬

早まった一般化 (hasty generalization, jumping to conclusion):
世論調査など統計をもとに論じる場合、有意なだけのサンプル数が必要であるし、その場合でも、大体の割合しかつかめないため、全称命題的に結論を出すのは慎重を要する[9]

ステレオタイプ化 (stereotyping): 性差、人種、職業、出身地などステレオタイプによる決めつけ[9]

誤りのある標本 (false sampling)

観測結果の選り好み。検証バイアス[9]確証バイアスとも。

因果関係理解の誤り

因果関係の逆転

因果判断の誤謬 (false cause)

滑り坂論法
(slippery slope): ひとつの問題点を取り上げ、あたかもそれだけがどんどん事態を悪化させる絶対的な原因であるかのように強調する誤謬[9]

用語選択の誤り

充填された語 (loaded language): 論題に関して感情的な
先入観を持たせようとして文の中に挿入した語句のことを指し、具体的には、議論の内容が客観的に十分に紹介・議論される前から、話者が自分の評価を盛り込むことで、最初から話に色をつけ、受け手に先入観を持たせようという議論で、ミスリーディングを導く[9]。解決策としては、決めつけてきたことの理由や、前提と決めつけた結論とのつながりを問う、また客観的・非感情的・非評価的表現で訂正した言い方を示す、などがある[9]

多義語の誤謬 (equivocation) また媒名辞曖昧の誤謬 (fallacy of the ambiguous middle) などでは、語の定義が多義であることからくる混用などが、誤謬の起因とされる[9]

類比の誤り (false analogy)

論点のすり替え

論点ずらし、論点のすり替えには以下の種類がある。

権威に訴える論証

伝統に訴える論証:「前例がない」として却下することが常に行われると進歩がなくなる[9]

多数派論証衆人に訴える論証) (appeal to bandwagon, appeal to popularity)

人格攻撃論法人身攻撃

状況に基づく対人攻撃論法 (ad hominem circumstantial)

お前だって論法 (Tu quoque)

多重質問の誤謬 (loaded question)

わら人形論法ストローマン, straw man)

このような誤謬を発する人には特定の人や立場に偏見を持って、話を聞こうとしない姿勢から誤謬が生じることが多い[9]。誤謬を解消するには、「初めに敵ありき」的な議論をする人が、議論姿勢を改めるか、あるいは、敵対的な議論で議論を打ち切ろうとする人が公平な議論を阻害しているということを多くの人が納得するまで事態の推移を辛抱強く待つか、のどちらかが一般的な解決法である[9]
好意の原則

道田泰司は、批判的思考を行うためにもっとも重要なことに好意的な理解をあげる[10]

批判(吟味、省察)を行うには、まずはその対象や問題をきちんと理解していなければならない[10]。十分な理解の努力なしに行われる批判は、たんなる誤解や、挙げ足取りや、本質的ではない議論にしかならない[10]。言語学者が現地言語を理解する際のように最初から「相手がいっていることが正しくない」と想定してしまうと、相手を理解することもできず、また「相手のいっていることが正しくない」と結論することもできなくなってしまう[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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