フランス、イタリア、デンマーク、ハンガリーやカナダでは高価な女性用のブランド物手袋が作られている。アメリカ合衆国ニューヨーク州、特にグラバーズヴィル(英語版)は手袋の産地であったことが知られているが、近年では多くの手袋が東アジアで作られている。日本では、国内製手袋の約90%が香川県東かがわ市周辺で作られている。 現存する手袋で最古のものは古代エジプトのツタンカーメン王の墓から発見されたもので、紀元前1343年 - 前1323年のものとされ、手首でむすぶタイプの麻製のものとされる[3]。 文献上では、古代ギリシア時代に遡る。ホメロスの『オデュッセイア』のいくつかの翻訳によると、オデュッセウスの父ラーエルテースは庭を歩く時に手袋をしていたとしている。しかし、他の翻訳によると、ただ袖で手を覆っただけである。紀元前440年に書かれたヘロドトスの著書『歴史』の中にレオテュキデスという人物が手袋、あるいはガントレット一杯の銀貨を賄賂として受け取った罪に問われていることが記述されている。古代ローマ人の記述の中にも、度々手袋が登場する。西暦100年前後に活躍した小プリニウスによると、大プリニウスは馬車に乗車中に口述筆記させていた速記者に冬の間は手袋を着用させ寒さの中でも文章を書けるようにしていたという。 ファッション、儀式、それに宗教のために手袋は用いられる。13世紀頃からヨーロッパでは女性の間でファッションとして手袋を着用するようになった。リネンや絹でできており、時には肘まである手袋が広まっていた。16世紀にイギリスの女王エリザベス1世が宝石や刺繍、レースで豪華に装飾されたものを着用した時に、手袋の流行は頂点に達した。オペラグローブと呼ばれる肘上から二の腕まで至る長い手袋がエリザベス1世女王、キャサリンデメディチ王妃、メアリー2世女王などの王族によって愛用された。長い手袋は貴族や王族と密接に関連しており、数千年の王族と権威の象徴とされ、多くの架空の女王、王女、貴族はドレスの一部としてそれらを身に着けているように描かれている[4]。 刺繍と宝石で装飾された手袋は皇帝や王の徽章の一部となっている。1189年にヘンリー2世が埋葬された時には、戴冠式のときに着用したローブと王冠、それに手袋とも共に埋められたと、マシュー・ペリーは記録している。1797年にイングランド王のジョンの墓を開いた時、それに1774年にエドワード1世の墓を開いた時にも、手袋が発見されている。 祭服としての手袋は、主にカトリック教会の教皇や枢機卿、僧侶たちが着用している。教義によりミサを祝う時にのみ着用を許されている。この習慣は10世紀に遡り、儀式の際に手をきれいにしておきたいという単純な欲求が始まりかも知れないが、特権階級として豊かになった聖職者たちが己の身を飾るためにつけたものが始まりかも知れない。
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