扉絵は研究の対象となることがある。例えば、日本において蘭学を切り開いた『解体新書』には小田野直武が描いた右の写真のような扉絵があるが[4]、杉田玄白らが翻訳した『ターヘル・アナトミア』オランダ語版の扉絵とはまったく異なっており[5]、原典となった西洋解剖書が何であるかは謎とされてきた[4]。中原(1993)はスペイン生まれのワルエルダの解剖書の扉絵のうち1579年版の図のコピーに『解体新書』の扉絵のコピーを重ね合わせたところ、アダムは左手の位置を除いてすべてが、イヴは寸分違わず一致することを突き止めた[6]。また樋口・中原(2001)は、日本歯科大学新潟歯学部の「医の博物館」が保有する黄色の表紙(以下、黄版とする)と緑の表紙(以下、緑版とする)の2種類の『解体新書』の扉絵を分析し、より古いと考えられる黄版には、緑版には見られない線があることを発見した[7]。 ACE870年以前にランスで制作されたと思われる装飾写本サン・パオロの聖書 巻子本の写経などの巻頭に描かれた絵。平家納経、中尊寺経など日本では例が多い。印刷された経典でも例があり、敦煌蔵経洞でスタインが蒐集した唐の時代に相当する866年(咸通9年)の金剛般若経には木版画の絵が付けられていた[10]。 漫画において扉絵とは、他の書籍とは異なり、表紙を指す場合が多い[11]。雑誌連載の漫画には、たいていの場合最初のページに扉絵が付いており、ない場合でも作品の冒頭部分に作品のタイトルなどを大きく書いた「作品広告的」なページを設けている[12]。本編の導入部を先にして2ページ目以降に扉絵を置く場合も多い[13]。この扉絵は作品の入り口にあたるため、作者の力がこもったものが多く、作品本編とは異なった絵画としての魅力があり、ファンによる収集の対象となりうるものである[14]。 例えば、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者である秋本治は自著『両さんと歩く下町』の中で扉絵は読者が読んでくれるかどうかを決める重要なものであり、力の入る部分である旨を語っている[15]。また荒木飛呂彦は新人の頃に編集者から、扉絵だけで見たくなる作品を作るよう求められたという[16]。
歴史
見返し絵
漫画
脚注[脚注の使い方]^ デジタル大辞泉" ⇒扉絵とは"コトバンク(2011年5月14日閲覧。)
^ 辻(2008)
^ 綿抜(2004):25ページ
^ a b 中原(1993):62ページ
^ 中原(1993):63ページ
^ 中原(1993):67 - 68ページ
^ 樋口・中原(2001):137 - 143ページ
^ 鼓(2001):33ページ
^ a b 慶應義塾大学15?17世紀における絵入り本の世界的比較研究プロジェクト" ⇒33. Emblems"(2011年6月13日閲覧。)
^ " ⇒版画の歴史/絹の道・紙の道"東峰書房(2011年6月13日閲覧。)
^ 大阪アニメーター学院" ⇒扉絵:漫画家用語"(2011年6月7日閲覧。)
^ 江下(2006):88ページ
^ akira" ⇒トビラ - 漫画の書き方 - 漫画家を目指している人の広場"2010年9月9日(2011年6月7日閲覧。)
^ 江下(2006):88 - 89ページ
^ 秋本(2004):3ページ
^ 集英社" ⇒ファンタジーコミック大賞:荒木飛呂彦先生インタビュー - 集英社"
参考文献
秋本 治『両さんと歩く下町 ?『こち亀』の扉絵で綴る東京情景』集英社、2004年11月22日、247pp. ISBN 4-08-720265-8