上杉頼重
重顕
重藤朝定重行[系図 1]
重氏(扇谷上杉家)(八条上杉家)
顕定1[系図 2]朝顕
曽我氏
曾我兵庫
曽我祐重
広沢氏
広沢元家
広沢忠信
大胡氏
大胡重行
島村氏
島村家吉
宇田川氏
宇田川喜兵衛
脚注^ 木下聡「結城合戦前後の扇谷上杉氏-新出史料の紹介と検討を通じて-」(初出:『千葉史学』55号(2009年)/所収:黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第五巻 扇谷上杉氏』(戒光祥出版、2012年)ISBN 978-4-86403-044-1)
^ 堀越公方は伊豆国を本拠地としていたが、自身や渋川義鏡をはじめとする京都から下向した家臣の基盤として相模国などの近隣の在地領主の土地に進出しようとしたため、扇谷家と対立した(木下聡『中世武家官位の研究』2011年、吉川弘文館、P324-325)。
^ 但し岩槻城については、太田道真・道灌父子でなく成田正等による築城説が今は主流である。
^ なお、長尾景春の乱と道灌暗殺に共通する主君と家宰との対立関係の背景には、室町時代には主君が在京奉公し領国経営は家宰が担当する役割分担があったが、戦国期に関東情勢が乱国化したことにより主君自らが在国して領国経営にあたったことから家宰との主導権争いが生じていたことが考えられている(丸島和洋「関東戦国時代の幕開け」『別冊太陽戦国大名』2010)。
^ 吉良義央の父・義冬と祖父・義弥の母は共に駿河今川氏出身で、駿河今川氏4代当主・今川範政の母が扇谷上杉家初代・上杉顕定の義弟である八条上杉家初代・上杉朝顕の娘。また顕定の義父で朝顕の父・上杉朝定は扇谷上杉家と八条上杉家の前身である二橋上杉家当主。
関連項目
長享の乱
永正の乱
吉良氏