扇子
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しかし、北宋の郭若虚『画見見聞志』巻6「高麗国」に「本出于倭国也」という記述があることなどから、日本の扇が高麗に伝わりそれが中国に流入したものという指摘がある[6]
中国説
開閉のできる「扇」を中国発祥とする話もある[8]。その根拠に『南斉書・劉祥伝』にある「腰扇」の記述や明代の方以智『物理小識』巻8にある「器用・宮扇」の記述があるが、これらの文献の「腰扇」や「器用・宮扇」から折り畳みの扇が存在したと証明するのは妥当でないという指摘がある[6]。『両山墨談』(嘉靖18年〈1539年〉跋)には「宋元以前、中国未有摺扇之製」(の時代以前に、中国には「摺扇」〈折りたたみのできる扇〉はなかった)とあり、また『名物六帖』(伊藤東涯編著)は「扇」について、「今所謂団扇也、摺扇称扇、則亦甚晩、始于明之中葉」(今いうところの団扇のことである。「摺扇」を指して「扇」と称することはずいぶん後になってからのことであり、これはの時代の半ばに始まったことである)としている[9]
蝙蝠扇

日本では平安時代の中頃までに、5本または6本の細い骨に紙を貼った蝙蝠扇(かはほりあふぎ)が夏の扇として現れる。これが現代に見られる扇の原型であるが、このころの紙貼りの扇は扇面の裏側に骨が露出する形式だった(室町時代以降、扇骨の両面に紙を貼る形式が広まった)。平安時代には扇はあおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられた。具体的には和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったりしたことが、『源氏物語』など、多くの文学作品や歴史書に記されている。このように扇は涼をとったり、もてあそび物にされたりする一方で、時代が下るにつれ儀礼の道具としても重んじられた。公家武家また一般庶民の別なく、日常や冠婚葬祭での持ち物の一つとされた。

ほかには、宮中において2組に分かれて扇を持ち合い、その描かれた絵画や材質の優劣を競い合う扇合せという行事が円融天皇天禄4年(973年)に行われたという記録がある。また近世には毎月一日、天皇三種の神器が安置されている内侍所へ参拝する時の持ち物として、御月扇と称して月毎に末広の扇が絵所より新調されたが、そのほかに表面に古代中国の賢聖、裏面に金銀砂子に草花を描いた賢聖御末広という末広が献上されることもあった。
唐扇の出現

舶来品の折り畳み式の扇(摺扇)は、北宋の時代に中国に流入し、代になると大量に製作されるようになった[6]。扇は中国文化とりわけ京劇川劇崑劇などの伝統劇曲の舞台道具として役割を発揮するようになった[6]

北宋に伝わった折り畳み式の扇は構造も変化し、扇骨の片面にのみ紙を貼る構造から扇骨の両面に貼る構造に変化した[6]。扇骨の両面に貼る構造に変化した扇は「唐扇」として室町時代に日本に逆輸出され、日本の扇子にもこの形式が広まった[6]
形式の確立

日本では室町時代になり扇子を閉じたときの先端の形状により、末広中啓、雪洞、鎮折の3つの基本となる形式が確立された[6]。また、唐扇の特徴を取り入れつつ、扇面に日本画を描いた「貢扇」が作られるようになり明との貿易で大量に輸出された[6]

さらに扇子は狂言茶道に必須の道具となり、江戸時代には庶民にも普及していった[6]

日本において、中世までの主産地は京都で、江戸時代になると京都の職人が移り住んだ江戸での扇子づくりが盛んになった。職人が多い京都では分業制であるのに対して、江戸扇子は職人が一人で制作する。江戸扇子は京扇子に比べて骨太で、骨の数も多くしっかりしている。折り幅も広いことが特徴で、京扇子と同じように閉じた時に“パチン”とした音が響く。また、女性的な京扇子に対して男性的なデザインや形状のものが多いことも特徴。しかし、今日では色々な種類の扇子が作られており、京扇子と江戸扇子を見分けることは、非常に難しい[10]

現代において扇子の需要は減少したが、扇面の絵柄を現代的にしたり、骨の長さを左右非対称にしたりした扇子も制作されている[11]
西洋への伝播

東洋の扇は16世紀にヨーロッパに伝わり、17世紀にはヨーロッパで扇が製作されるようになった[12]。当時エキゾチックな文物を盛んに取り入れていたスペインで最初に受容された扇子は「スペインの煽具」の名で各国に伝搬し[13]、貴族の女性の持ち物として、日本や中国のものとは違う独自の様式の扇が作られた[14]。ヨーロッパにおいて扇は女性の持ち物として普及し、18世紀にはフランスなどでロココ様式による優雅なものが数多くつくられた[12]

日本からも1872年の1年間に80万本が輸出されたという[12]。スペインでは扇が女性の必需品とみなされていた[12]。画家のエドゥアール・マネはスペイン趣味で扇を手にする女性を描いたが、日本の扇のようなものもありジャポニスムの影響とみられる点もある[12]。またベルト・モリゾの作品にも日本の扇や団扇をモチーフに描いたものがある[15]

ヨーロッパで作られた扇を洋扇という。17世紀のパリには扇を扱う店が150軒を数えるほど、上流階級の女性のコミュニケーションの道具として大流行した。ヨーロッパではレースを貼った洋扇に発展し、孔雀の羽根を用いた扇子も作られた。18世紀には扇子言葉というボディランゲージが生まれるなど、ヨーロッパの上流階級に根付いていた(参照:en)。

このヨーロッパの形式の扇も日本へ逆輸入され絹扇(きぬせん)が生まれた[16]
種類

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