「今の時代は100年後に語られるものがない。昔の人が考えたものをそのまま使っているだけ。何か文化を残さないといけない」ということで、新しい漢字や四字熟語、民謡などを作ることを自身の宿題としている。いずれもシャレを交えているが、所流の創作四字熟語である『四字列語』は『朝日新聞』で連載され本にもなった。
絵描きとしても活動しており、『所さんのまもるもせめるも』など多くのテレビゲームのキャラクターデザインを手掛けている。また、『少年ビッグコミック』にて『ジョージ君の人間図鑑』というマンガを連載していた。2ページの見開きマンガで自身の趣味や日常生活を描いていた。自らデザインしたキャラクターを用いた『となりのトコロ』というアニメ(OVA)を制作したこともある。所自身がCGキャラクターとなった短編CGテレビアニメ『デジタル所さん』は、アニメ界のアカデミー賞と呼ばれるアニー賞の最終選考にノミネートされ、アメリカのフィルムフェスティバルで金賞を受賞した(受賞者は原作・監督の今吉将之)。 妻はもともと行きつけのスナックのママであり、現在は『ブンブーンクッキング』の著者、また所の事務所・ティヴィクラブ
生活・思想
「私はアメリカ人だから」と自称するほど、ライフスタイルは徹底したアメリカンスタイル。トレードマークは「おでこメガネ」「額グラサン」とも呼ばれる、額にめがねやサングラスをかけた姿である。ジーンズにTシャツといったラフな服装でテレビに出ることが多く、その縁でベストジーニスト(第4回・1987年)に選ばれたこともある。
大学の授業には全く出席しなかったが、部活動には熱心で、拓殖大学のアーチェリー部に所属していた。『徳光&所の世界記録工場』(日本テレビ)などのテレビ番組でその腕前を披露している。ブランクがあるにもかかわらず軽々と的の中心付近を射抜き、かつての片鱗を見せていた。当時は丸刈りに学生服という縦社会に染まっていたため、コント赤信号のツッパリコントを観て「あんなの体育会系じゃない」と憤っていたという。また、高校時代はハンドボール部に、中学時代はテニス部に所属していた。
『オールナイトニッポン』に出演していた20代の頃から、何度もカツラメーカーからCMのオファーがあるも、断っていた。頭髪が薄くなったのは、ビートたけしにピコハンで叩かれすぎているからと、まことしやかな事も言われている。
ダ埼玉という言葉が話題になっていた1980年代前半、埼玉県庁発行の県民だよりに「…オレが言ってるのは本当にそう思ってるから。別に埼玉という土地を嫌いなわけじゃないし悪さを感じている訳でもないけど、強がりを言ったり見栄をはっているところがダサイんだよ。…でも、まあ子供を育てるにはいいところだと思うね。自然も残っているし」(要旨)とのコメントを寄せている。「ダ埼玉#県内の反応」も参照
1984年、第1回新語・流行語大賞で「す・ご・い・で・す・ネッ」が流行語部門大衆賞を受賞するなど、流行の先駆者でもある。、また、本人は上述の「おでこメガネ」スタイル(帽子の上に掛けるものも含む)を21世紀に復活させたり、以前女子高生などの間で流行した「ゲロゲロ」「…かもしんない」という言葉や「ルーズソックス」の先駆けも自分であると言っている。
クールでドライな一面もあるためか、人前で涙や悲しみを絶対に見せない。また、『笑ってコラえて』『奇跡体験!アンビリバボー』などの番組で感動的なVTRが流れた後、スタジオで共演者が涙を見せる中で、目を潤ませることはあっても絶対に涙を流さない。また、お葬式にも報道陣の前ではあまり姿を見せず、黒澤明の通夜で取材に応じたぐらいである。ただし、明石家さんま曰く、『オールナイトニッポン』の最終回では号泣していたとのこと。
できちゃった結婚には否定的で「できちゃった結婚は、排泄してからトイレを建設するようなもの」[注釈 4] と、本能の赴くままに行動して後で焦ることに例えた発言をしている。
2008年7月、男性マネージャーが5000万円以上を横領したため、解雇とした。この男性マネージャーは、CM担当をしていた。2009年の『大改造!!劇的ビフォーアフター』記者会見では弁護士に対策を任せてあり、さほど気にしていないと語った。
2009年4月19日放送『これが世界の現実だ!アフリカ最貧国・ベナン救済計画』(テレビ朝日)で、ベナンの子供達へ通学バスやランチプレートを寄付していると公表した。この通学バスは、所の自家用車の整備を手がける輸入車ディーラーが輸入したダッジ・ラムを、同じく所行きつけの自動車板金業者でスクールバス仕様に改装したものである。
犬を飼っており、犬種はロットワイラーである。名前は、エルメスのケリーバッグからヒントを得て「ケリードッグ」と名付けられている。通称は「ケリー」で、『所さんの世田谷ベース』にも出演している他、アルバム『JAM CRACKER 1』と『JAM CRACKER 2』のジャケット写真にも登場している。『天才!志村どうぶつ園』にてゲスト出演したときに交友のある志村けんから贈られた犬だった。食いしん坊の一面があり、ある日、ガレージに備蓄しておいた粉末タイプのアクエリアスの袋を食いちぎって中身を舐めてしまった形跡があったとのこと(5袋ぐらいあったはずが2袋しか残骸が残っていなかった。当初は悪戯した程度だと思っていたが翌日の散歩でアルミ片の混ざった糞をしたので所はケリーの体を心配しつつも呆れ「銀紙犬」と呼んだ)。また、甘えん坊で、所のベッドにしばしば入って来ることがあるが、自分の糞を踏んだ足でくることもあり「臭くて困る」と苦笑している。しかし所はケリーを溺愛し、美人だと目を細めている。
また、過去にも何匹か飼っていた。中でも有名なのは、CMで所と共演したこともあるシベリアンハスキーのインディーである。2009年12月17日放送『所ジョージのオールナイトニッポンGOLD』での所の話によると正式な名前は、インディアナ・ジョーンズという。映画の『インディージョーンズ』の劇中で主人公の名前は犬の名前であるという場面があるが、それよりも前に「インディアナ・ジョーンズ」と名前を付けたのは偶然だったと述べた。インディーは大型犬としては長寿で、18歳まで生きた。インディーの死を病院で確認して貰うために車に乗せて連れて行ったが休診であったため、そのまま帰宅。翌日再度行くのだから…と車にインディーを横たえたままにしていたが、妻に「自分の家(犬小屋)に戻してあげて」と言われて犬小屋に戻した。所は、病院へ連れて行く車中にて「おまえは、私の芸能活動に貢献した」と感謝の意を述べたとのこと。
猫を飼っていたこともある。名前は「ダディーコビヤマウリンボウヘコキムシキンチャンタロウ」通称「ダデオ」。1980年代後半、まだ一般に珍しく、家の中で飼育されることが多かったアメリカンショートヘアを家の外にも自由に出られる環境で飼っていた。すると「アメリカンショートヘアがロングヘアになった」とのこと。また、大人しい性格と華奢な体躯は野性味を増していき、近所の野良猫たちとケンカをしては傷だらけになって帰ってくることもしばしばあった。所曰く「ウチは甘やかしませんからね。世間知らずはダメです」とのことで、しばらくするとケガもしないで悠々と帰ってくるようになった。現在は自宅で十数匹の猫を飼っている[14][信頼性要検証]。
親交の深いビートたけしと明石家さんまの裏番組には出演しないことを公言している[15][注釈 5]。一方で、自身の『所さんの世田谷ベース』に番組立ち上げ時から出演していた清水圭が同時間帯にCSで新番組を立ち上げた際には激怒し、即座に清水を降板させた[16]。
2010年4月に体調の不良を訴えて各種検査(血液・CT・MRIなど)を行なった。血液はサラサラで各検査もAランク診断結果だったと述べ、体調不良の原因の一つに、番組収録中にお腹がグルグル鳴るのが嫌で番組収録の前には一切食べ物を口にせぬ考えから、朝昼食を抜いて収録に臨むことも多々あり、自宅に戻ってから夕食などを一気に食べる食習慣が常習化し、そのため、食後一気に血糖値が急上昇することがあると述べ、体調回復後は、ちょくちょく食べ物を口にしているとのこと(『所さんの世田谷ベース』の「第80回:愉しきかな車いじり」オープニングトークより)。