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所 ジョージ(ところ ジョージ、1955年〈昭和30年〉1月26日 - )は、日本のシンガーソングライター、コメディアン、俳優。本名:芳賀 隆之(はが たかゆき、出生名:角田 隆之)。
埼玉県所沢市出身。東京都世田谷区成城在住。ティヴィクラブ所属。 小平市の錦城高等学校を経て1浪後、公募推薦で拓殖大学商学部に進学するも学費納入の手続きを忘れ、学費未納として除籍される[注釈 1]。 「シンガーソングコメディアン」を自称し、ミュージシャン・コメディアンとして芸能界デビュー。その後、日本を代表するタレントとして複数の冠番組を持つ。上記の通り、多数のジャンルに渡って幅広く活動を行っている。 本人は2013年春頃より親しい人たちに「還暦を過ぎても俺がテレビに出続けるのはどうかなぁ」と話すようになり、60歳を境に引退の可能性があると言われていた[3]。しかし、実際は60歳を迎えた2016年以降も芸能活動を継続している。 芸名の「所ジョージ」の由来は、出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに宇崎竜童によって「所沢の柳ジョージ」という意味で命名された[4][信頼性要検証]。東京スポーツでの宇崎竜童の連載では「外国でも通用するような名前がいいだろう。オレの本名はシュージ(修史)で外国でも通用しそうだから..そうだ、『ジョージ』でどうだろう。そう、この瞬間に『所ジョージ』が誕生したんだ」と宇崎自身が述べており、「柳ジョージ」には触れられていない[5]。タモリは「所」「とっころさん」、ビートたけし、坂崎幸之助からは「所」、和田アキ子は「所っち」、伊東四朗は「ジョージ」「とこちゃん」、明石家さんまは「所さん」や「所ジョージ」とフルネームで呼ぶこともある。一般的には「所さん」と呼ばれる事が多く、自身が司会を務める番組名も頭に「所さんの」と付くものが多い。 拓殖大学に入学するも1度も授業に出ず[6][注釈 2]、2年生に進級できなかったため音楽の道を志す。程なくデモテープが「面白い」と北島肇プロデューサーに認められて音楽業界に入る。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのボーヤとして、渋谷にあったライブハウス渋谷ジァン・ジァンで前座を務めていた。もう一人の河原崎直彦プロデューサーがダウン・タウン・ブギウギ・バンドも手掛けていた関係で宇崎竜童と出会い、前座で出演するに当たって「所ジョージ」と命名された。ライブ会場では小遣い稼ぎのために勝手に宇崎のシールを作って売ったり、ステージ上では「どうせ誰も聞いていない」との理由で餅を焼いて食べるなどしていた。人前で歌ったことがない状態からボーヤを経て、1977年7月25日に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビュー。 1980年代前半は、CBSソニーの新人登竜門の新宿ルイードなどでしばしば営業活動を行っていた。楽曲などの演奏はほとんどなく、主にしゃべり+ギターの流し芸人スタイルであった。大手との契約があったこの頃より、客を軽視するバカ芸風が確立された。 1998年、フジテレビの番組『MUSIC HAMMER』の企画としてシングルCD『「ミュージック・ハンマー」オリジナルサウンドトラック“トンカチ”』をリリース。このCDでは同番組で所と共に司会を務めた坂崎幸之助、篠原ともえも参加している。 1999年には明石家さんまの人生を描いた曲『明石家さんまさんに聞いてみないとネ』をリリース。この企画はさんまが司会を務める『さんまのまんま』に所がゲスト出演したことがきっかけで始まった。この曲にはさんま本人とゲストとしてたまたま通りかかった工藤静香も参加している。プロモーション・ビデオは多忙なさんまと所の2人のスケジュールが取れないため、レコーディング風景の映像をそのまま使っている。記者会見では「ライバルはGLAY」「目標は売り上げ5000万枚」「NHK紅白歌合戦出場を狙う」などと言っていた。なおアルバム『洗濯脱水』には『明石家さんまさんに聞いてみてもネ』という曲も入っている。 2002年7月には、女性フォークデュオ「素一(すっぴん)」のシングル「白い月」で初めて他のアーティストのプロデュースを行った。シングル「白い月」は2002年7月24日に発売され、収録されている「白い月」「治療」「ガンバレ」 の3曲の作詞・作曲も所が担当している。 2004年9月、男性フォークデュオ「コブクロ」とともに「トコブクロ」を結成。所がイメージキャラクターとして出演した缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」(アサヒ飲料)のテレビCMのイメージソングを制作した。2004年9月29日には、マキシシングルCD『毎朝、ボクの横にいて。』として発売。 その他にも、NHK『みんなのうた』では、1989年には「背中でツイスト」、1999年には「歩いてみっか!」を歌っている(前者は所の歌では未発売。ただし中尾隆聖、柳田ヒロ、赤坂東児らがカバーしたものがCD発売されている。後者は所の歌でCD発売)。なおこれらの曲について、前者ではアニメキャラクター、後者はCGキャラクターとして、映像に登場している。 2006年には、エイベックスより、アルバムを1枚リリース。また山本譲二とのユニット「譲二さんと所さん」名義でコラボレーションシングルをリリース。山本との競演に関しては「この異色ユニットでNHK紅白歌合戦に出たい。」と望んでいたが叶わなかった。 2010年3月、アルバム『コケコッコゥ!!?七色の声色?』をリリース。八代亜紀、奥田民生、トータス松本、GO!GO!7188、ビートたけしとおぼしき声が聴こえるが、所は「最新技術を駆使して私の声を七色に変えている」と言い張っていた。その後のインタビューで所は、最新技術云々はレコード会社の契約上の問題で直接に歌手名を出せないがために考案した架空の設定であると語っている[7]。 2012年10月8日に、”世田谷一郎”の名でYouTubeにチャンネル登録がされており、所ならではの遊び心に富んだ自主企画と合わせ、”最近の歌”と称して、生歌(販売前のものも含む)を投稿している。なお、所の意向により、収益化はしていないことも明らかにしている。後にチャンネル名が“SETAGAYA BASE 工作部”に変更されている。 2014年9月13日に自主レーベル「Jam Cracker Record」を設立し『JAM CRACKER 1』と『JAM CRACKER 2』の二作を同時に発売。CDの価格は破格の1枚756円、収録曲は2枚で合計29曲である。 曲作りに関しては、いろんなものが混在して明確ではないが、ベースには吉田拓郎やレッド・ツェッペリンがあると思うと話している[8]。楽曲には遠慮のない表現やパロディが盛り込まれていることが多い[9]。
概要
芸能活動
芸名の由来
ミュージシャン・音楽面
楽曲の特徴
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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