所ジョージ
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また、『所萬遊記』では「権利料はいらないから過去の曲を番組のテーマなどに使用して欲しい」などと話しており、現在は動画サイトで新曲を無料配信している。

音符を書いて譜面を書くことが面倒臭いのと、とっさに別荘に五線紙がない場合もあるため、歌詞の上に文字で音階を書いて譜面代わりにしている

タモリハナモゲラ語で作詞した「けさめらの親王むれさのはけ姫に詠む」と言う歌がある(『ジョージのセロリ・パセリ』収録)。
タレント業

バラエティ番組等で見せる、肩の力を抜いたいい意味での「いい加減さ」が人気であり、司会等レギュラーを務める番組は多数で長寿番組も多い。また、「理想の父親」「上司ランキング」の常連でもある。そのリラックスした司会ぶりは、かつて島田紳助に羨ましがられていたこともある。

1977年、無名だった当時に『オールナイトニッポン』のメインパーソナリティに抜擢される。これをきっかけに本格的にタレント業に進出する。当初は『元祖どっきりカメラ』などで仕事中に駐車していた愛車をスクラップにされてたり(もちろんすり替えであるが、本人の目の前を本物の愛車が走って来て、そのまま壁にぶつけられてしまう)、歌詞を間違えたら私物没収→視聴者プレゼントヨットを没収されたりなど、若手ならではのヨゴレ仕事もこなして来た。

1979年からは『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京)のメイン司会者に就任し、一躍名が知れ渡ることとなる。この当時について、所は「とにかく『所ジョージ』の名前を覚えてもらおうと思って何でも仕事を引き受けた。どんな仕事をやってもソングライターの思いを持っていればいいと思ってた。でも、時代劇の中でどうすりゃソングライターの顔ができるんだよ。ドラマも同じ。そのうちソングライターだって忘れちゃった。24歳でいつの間にか司会業をやってた」と語り、「その後は誰もソングライターとして見てくれなくなった」との悩みも打ち明けている。

1984年、第22回ゴールデン・アロー賞放送賞受賞。

1983年から1990年まで、新人の頃から親交の厚いタモリが司会を務める『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)にレギュラー出演。『金言・格言 色紙でどうじょ!』『所ジョージさんの頭悪いんじゃないの?』などのコーナーが人気となる。同じフジテレビ系列では、1985年から『所さんのただものではない!』が始まり、1989年からは『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の準レギュラーを務める等、バラエティに欠かせない存在となる。

1986年から2001年まで、ミスタードーナツ2010年に復帰)、1996年から2006年まで宝くじCMのイメージキャラクター(2015年に復帰)を務めている。明るく弾けたキャラクターでこれまでに無数のCMに出演。出演CMのCMソングも数多く手掛けた。

1997年にはCM出演に関して、アメリカの経済紙・ウォールストリート・ジャーナルの一面に取り上げられたことがある。トヨタ・キャバリエコカ・コーラのCMに出ていたことを例に挙げ、「アメリカが日本に商品を売りたいのならジョージ・トコロに任せればいい。ミスター・トコロに匹敵するアメリカ通商代表はいない」と顔写真付きで紹介された。

前述のようにタレントとしての芸風は「いい加減さ」を売りにしているが、1980年代まではテレビでは縦横無尽に暴れまわる芸風であり、番組スタッフと内容を巡って以下のような軋轢を起こしている。

日本テレビ系列においては、『11PM』の水曜日の司会を長年続けた愛川欽也の勇退を受けて、1986年4月より水曜日の司会に起用された。これは同じ日本テレビ系列の『TV海賊チャンネル』での功績を認められての抜擢だった。しかし、『TV海賊チャンネル』時代には所ワールドと言ってもいいくらい自由だったのに対し、長寿番組『11PM』では制約が多く、スタッフらとの意見衝突もあって、半年で降板した。

フジテレビ系列においてはレギュラー出演していた『笑っていいとも!』において、所がやりたがっていた企画と、スタッフが所に出した企画の内容の違いが浮き彫りになった。次第に『いいとも!』が当初のマニア受けの番組から万人受けする番組に変化する中、所の存在や出演コーナーは番組全体から浮くようになった。スタッフとの考えの違いは埋めきれないまま、所は1990年3月に『いいとも』を降板。

これを契機に一時期フジテレビに対して不信感を抱き、次第にフジテレビでの仕事を減らし、『ものまね王座決定戦』の司会、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の準レギュラー、『所さんのただものではない!』の司会を1992年3月までにすべて降板した。1992年4月から1995年3月までは『世界の超豪華珍品料理』や『たけし・逸見の平成教育委員会[注釈 3]、『平成教育テレビ』(FNSの日)などの特番などには出演するものの、レギュラー番組への出演はない。1997年10月からは『奇跡体験!アンビリバボー』にレギュラー出演するも、2012年9月に降板。

こうした経緯によって、1990年代においては再度日本テレビでの仕事が多くなった。『マジカル頭脳パワー!!』ではかなりの正解率を誇り、VTR問題はVTRが出た瞬間に正解するなど、頭の回転力を見せつけ、ほぼ毎回トップ頭脳賞を獲得していた(出題される前に正答したことすらある)。しかし、スタッフのクイズ・ゲームを重視する主張と、所の「クイズも大事だが出演者同士のやりとりも大事」とする主張の対立により、1996年10月10日をもって同番組を降板した。

現在では日本テレビ、フジテレビともわだかまりもなくなり、日本テレビでは多くのレギュラー番組が存在し、フジテレビにおいても、かつてスタッフと喧嘩別れした『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に2014年3月の番組終了までに5回ゲストとして出演している。

2010年4月14日、『所ジョージのオールナイトニッポンGOLD 木曜日』収録中に体調の不良を訴え、病院で診察の上、各種検査(血液・CT・MRIなど)を行なったが原因は不明。レギュラー出演している番組収録は数日(翌週)持ち越され、自宅療養することとなった。しかし、収録再開後も体調不良は三週間に渡って続き、『所さんの世田谷ベース』や『所さんの目がテン!』などの収録は、体調が回復するまでキャンセルされた(「所さんの目がテン!」では、MCの代役に林家正蔵や峰竜太を立てて収録された)。所の体調不良は、『所さんの世田谷ベース』の「第78回:花見ドライブ」(2010年5月9日放送)・「第79回:めくるめくプラ戦車」(2010年5月23日放送)の回でも既に見られ、所自身はこの回の収録が直接のきっかけになったと述べている(『所さんの世田谷ベース』の「第80回:愉しきかな車いじり」オープニングトークより)。
俳優・声優業

俳優としては、1980年代半ばから1990年にかけて『うちの子にかぎって』『パパはニュースキャスター』『はいすくーる落書』『ママハハ・ブギ』などTBS系のドラマに脇役として多数出演。1993年に黒澤明監督作品『まあだだよ』に出演し、第17回日本アカデミー賞優秀助演男優賞、第36回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。1994年には名作の誉れ高い『私は貝になりたい』のリメイクに主演、当時は役者転向かとも言われたが、現在もタレント、ミュージシャン業をメインにしている。役者業をしたのは、ある人に曲が売れないことを話したところ、「ドラマに出演すれば、曲が売れるのではないか?」と唆されたからだと語っている。また、声優としても活動しており、海外ドラマの『アルフ』やピクサーの『トイ・ストーリー』シリーズ、宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』などに出演。
創作活動
雑誌

著書も数多いが、それとは別に雑誌の制作も行っている。現在も続刊中の月刊誌『ライトニング』は、所が自らの所属事務所であるティヴィクラブに出版部門を設立して創刊させたもの。その後『ライトニング』は竢o版社に版元変更し、本人との関わりはわずかとなったが、個人としてメディアを所有した芸能人は世界的にも稀である。他にも過去には『デイトナ』などトータル・コンセプターとして接している雑誌もある。テレビ番組所さんの世田谷ベース』のムック版『所ジョージの世田谷ベース』や、ビートたけしと組んだ『FAMOSO』の編集にも関わっている。


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