戸田恵子
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2005年のインタビューでは「(当時は)バラドルみたいな状態。仕事はありましたが結果は伴っておらず将来は不安だった」という趣旨の発言をしている[2]。当時は気球からのリポート撮影で墜落事故にあったこともある[14]さだまさしの『ひとり占い』(グレープ時代の作品)をレコードで発売したが、全く売れなかった。

その後、所属プロダクションが解散したこともあり、1977年、19歳の時に野沢主宰の「劇団薔薇座」へ研究生として入団[2][4]。本格的に演技の勉強を始め、ミュージカル『ザ・ミュージックマン』で葦原英了賞、主演した『スイートチャリティ』で文化庁芸術祭賞(演劇部門)を受賞し、劇団の看板女優として活躍した。

1989年に退団後、同年に舞台『渾・身・愛』で第24回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。薔薇座時代の愛称は「グリコ」で、現在も声優仲間からこう呼ばれることが多い。この「グリコ」の由来は、薔薇座入団当初の彼女の「イガグリ頭」から付けられたもので[15]、菓子のグリコとは関係はない。
声優業へ

当時の劇団員は生活のためにアルバイトをしており、野沢が「どうせなら同じようにしゃべる仕事で稼げたらいいじゃないか」と声優の仕事を紹介してもらって[4]、1979年に実写版『眠れる森の美女』のオーロラ姫役で声優デビュー[16]。アニメ作品は、『無敵鋼人ダイターン3』がデビュー作である[17]。続けて出演した『機動戦士ガンダム』のキャラクター・マチルダ・アジャン役で有名になる[18][19]

当初は『伝説巨神イデオン』『子鹿物語』など歌手としての色彩が強い出演作品が多かったが、次第に本格的な声優業にも進出。『キャッツ?アイ』の来生瞳役、『ゲゲゲの鬼太郎(第3作)』の鬼太郎役、『きかんしゃトーマス』(フジテレビ放送シリーズ)のトーマス役、『それいけ!アンパンマン』のアンパンマン役として名を馳せる[18]

洋画吹き替えも多く担当し、ジュリア・ロバーツジョディ・フォスターシガニー・ウィーバー、『Xファイル』のスカリー捜査官などを務める[18][20][21]弥永和子高島雅羅一城みゆ希幸田直子と並び、ジェイミー・リー・カーティスシガニー・ウィーバー両者の吹き替えを経験した数少ない人物。
二度の離婚.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "戸田恵子" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2024年4月)

『機動戦士ガンダム』での共演をきっかけに22歳の時に池田秀一と結婚したが、短期間で離婚。「ジオン軍と連邦軍の結婚は上手くいかなかった」とコメントを残している。

1990年に俳優井上純一と2度目の結婚をしたが、2006年12月に離婚。これは世間にはほとんど知られず、2007年7月頃に女性週刊誌にて初めて発覚した。なお、井上とは離婚後も仲が良いとの噂があったが、離婚後は井上の親の葬儀以外では一切会っていないと強く否定している。
本格的に女優デビュー


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