戦車
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注釈^ 特に敵からの砲弾が直撃しがちな砲塔前面、次いで車体前面は装甲がより分厚く設計されていることが一般的で、こうした前面は砲弾の直撃にもある程度耐え得る。それ以外の面(後面、両側面、上下面)はやや装甲が薄く設計され、弱点となっていることは多い。もし全ての面の装甲を均等に厚くしてしまうと車体が重くなりすぎて、エンジン・トランスミッションや足回りの走行装置に負担がかかり、実際上、戦場で使いものにならなくなってしまう。そのため前面装甲を重点的に強化し、敵に対して極力前面を向けるように運用するという防御策をとることになる。反対に対戦車攻撃では、敵戦車の前面ではない部分(走行装置を含む)を攻撃するのが定石である。
^ イギリスでは委員会をその頭文字で呼ぶ風習があった。
^ tankが登場する直前の辞書大日本国語辞典(大正4年8月発行) には「せんしゃ【戰車】 戦争に用ふる車。軍用の車。兵車」とある。
^ 中国大陸では青銅器時代に、戦車が主力兵器とみなされるほど重視されていたものの、時代が下ると歩兵と騎兵に地位を奪われて廃れていった。日本では山がちな地勢や、中国大陸から伝わった鉄器や騎馬の技術によって、戦車の時代を経ること無く、歩兵と騎兵の時代に移行したため、使われなかった。
^ 大正11年「偕行社記事」4月号に掲載された「作戦上に於ける自動車の利用について」という論文に戦車の語が確認できるという[10]
^ 奥村恭平大尉(陸士21期・輜重、のち陸軍少将)が軍用自動車調査会の席上で「戦車」と呼称することを提案した。
^ 兵器の制式名としてPanzerkampfwagenではなくPanzerだけで「戦車」を意味するようになったのが確認できるのは、IV号駆逐戦車の長砲身型であるIV号戦車/70 (Panzer IV/70) が最初である。
^ 現在のドイツ連邦軍のPanzerdivisionも装甲師団と訳されるのが通例である。日本語中の頻度を調べるサービス[17]で検索すると「装甲師団」31件、「機甲師団」22件に対して、「戦車師団」は5件。しかも内訳を見ていくと装甲師団はドイツのPanzerdivisionのことを指す用例ばかりであるのに対し、戦車師団はいずれもドイツのそれではなく日本や韓国の戦車師団についての用例である(2014年の検索結果)。
^ 105mm砲を開発したイギリスでは、当時の重戦車砲を上回る55口径120mmライフル砲L11をチーフテンに搭載し、第3世代戦車であるチャレンジャー1にも同砲の改良型が引き続き搭載された。
^ 爆発反応装甲の特性として着脱が可能で破損時の交換が容易な他、作動時の爆発によって自身より重く厚い装甲板と同程度の防御力を発揮するが、車体周囲の随行歩兵や自車の装甲に損傷を与える恐れがあり作動後はその箇所の防御力は低下してしまう。装甲防御力が弱い旧世代の主力戦車に、爆発反応装甲を前面に貼り付ける事で兵器寿命の延命を計ることがある。コンタクト5FY-5、ERAWA-2などの現代の爆発反応装甲はHEAT弾だけでなくAPFSDS弾にも効果がある。PT-91の様にHEAT弾にしか効果がないERAWA-1を併用している場合もある。
^ アルゼンチンのTAMは自走砲と歩兵戦闘車に車体が流用されているがTAM自体がマルダー歩兵戦闘車の車体を流用して作られている。
^ M1、10式、K2は砲手側に同軸機銃を置く。AMX-30の同軸機銃は12.7mm口径ないし20mm口径と大型で、後継のルクレールでも12.7mm口径である。
^ M1戦車は砲塔を90度横に向けても、パワーパックがそのまま垂直には引き上げられず、斜めに傾ける作業が必要となっている。
^ 精密な射撃はできないが敵陣を威嚇する効果を期待したもので、現代のロシア製歩兵戦闘車などに受け継がれている。
^ Strv 103では増加燃料タンクを足回りを覆うように並べ、HEAT弾の威力を減衰させる装甲としての役割を兼ねさせた。これに対する射撃実験の映像でも確認できるように、当然HEAT弾によって燃料に着火してしまうが、着弾時に飛び散ったり空いた穴から地面に流れるため、そのまま走り抜けてしまえば車体が炎上することは無いようである。さらに同車は車体前面に柵型の対HEAT装甲を設けたが、これは後述する鳥籠装甲と同じ原理によるものである。
^ 兵器輸出入の実例を挙げれば、外国産の車輌の輸入から国産の車輌の国内生産に切り替わる場合が多く、日本やイスラエルの様に、防衛上の方針や政治的制約からコスト面での不利を覚悟で輸出を行わずに国内での生産と運用に限定する国もある。逆にイランへの輸出用に開発したものの革命でキャンセルされ、開発企業救済のために本国イギリス陸軍に採用されたチャレンジャー1の例もある。また西側標準となったL7ライフル砲やラインメタル120mm滑腔砲のように、一部装備のみの輸出入やライセンス生産が行われる事も多い。
^ 戦車の性能は、開発国の工業力を推し量る指針となる。第二次世界大戦中、ドイツは同国ならではの優れた機械技術でティーガーパンターなどの強力な戦車を開発したが、あまりに複雑な構造故に生産性が非常に悪く、戦場でも稼働率が上げられずに当初見込んだ戦果を得る事が出来なかった。対するアメリカはM4シャーマン戦車のような単純な構造で生産性と信頼性、可用性の高い戦車の大量生産を行い、物量でドイツ軍戦車を圧倒する事で連合国の勝利に大きく貢献した。
^ 冷戦終結による「脅威の減少」とは、戦車同士が大規模に砲火を交える可能性が小さくなったという事を指す。

出典^ a b デジタル大辞泉「戦車」
^ a b c 三野正洋 (1997). 戦車マニアの基礎知識. イカロス出版 
^ 藤田 元信 (2017年7月6日). “74年前の米軍の空爆戦略から日本人が学ぶべき「急所を見抜く力」”. 現代ビジネス. 2019年12月21日閲覧。
^ “第129回国会 衆議院 予算委員会 第11号 平成6年5月27日”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年12月21日閲覧。
^ “リアルからネットへ「逆侵攻」、自衛隊の思い”. 日本経済新聞 (2013年5月6日). 2023年1月26日閲覧。 “10式は純国産。しゃれじゃありませんけれど、日本の千数百社、千社で戦車を造っています”
^ “防衛産業とは 3兆円市場、下請け含めれば数千社”. 日本経済新聞 (2022年8月19日). 2023年1月26日閲覧。 “部品をつくる下請け企業まで含めると裾野は広い。戦闘機や戦車はそれぞれ1000社程度、護衛艦は数千社が関与する。国内には防衛を専門とする企業はほとんどなく、大手企業の売上高に占める防衛部門の比率は10%ほどにとどまる。”
^ a b c d e f g h 月刊PANZER編集部 (2018年10月19日). “日本の戦車100年 始まりは神戸のマークIV、そこから世界有数の「原産国」に至るまで”. 乗りものニュース. 株式会社メディア・ヴァーグ. 2019年12月21日閲覧。
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