戦術
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加えて情勢判断に基づいた戦力準備・戦力運用・教育訓練が三位一体となって目標達成を追求するという基本的な枠組みも類似している[30]

戦略と戦術の異なる点も挙げることが出来る。それは戦略と戦術が上下関係に属していることと関係して、考慮すべき問題の大小、配慮すべき時間の長短、視野の広狭などが決定的に異なっている点である。また戦略家・戦術家の思考様式の差異であり、戦術家としての役割を担う下級指揮官は一定の条件下で与えられた任務を達成するために判断すればよいが、戦略を担う高級指揮官は下級指揮官に任務を与える場合に必要な戦力を与えなければならず、また常に全体的な状況を把握して指導することが重要である[31]

また戦略・戦術の概念は近代以降に精緻化が進み、戦略は国家戦略、軍事戦略、作戦戦略に構造化されている[1]戦略を参照)。また作戦的な性格と戦闘的な性格から戦術を作戦術と戦術に区分する場合もある。
戦史の戦術

戦術研究においても特に注目されている戦史について簡略に述べる。(詳細は軍事史を参照)
カンナエの戦い

カンナエの戦い紀元前216年8月2日にパウエルとヴァロが指揮するローマ軍部隊とハンニバルが指揮するカルタゴ軍部隊のカンネー付近における戦闘である。

カルタゴ軍とローマ軍はカンネ付近のアウフィダス河南岸に10kmの距離を置いて築城・宿営した。ハンニバルは敵ローマ軍の指揮官がヴァロであることを知り、決戦に誘うことを決心する。カルタゴ軍は歩兵8千を陣地に残して敵を誘致し、主力である4万を率いて北岸に移動しそこで背水の陣で横隊に展開して決戦を準備する。ヴァロは誘致に応じてカルタゴ軍の陣地を別動隊1万で攻撃、主力部隊7万を率いて渡河し、カルタゴ軍に対して横隊に展開した。両軍とも両翼に騎兵部隊を配していた。

戦闘はカルタゴ軍が先制した。ハンニバルはカルタゴ軍の重歩兵部隊に不動を命じ、中央の軽歩兵部隊を傘型陣形で前進させてローマ軍中央の歩兵部隊を拘束しつつ、左翼の騎兵部隊にも正面攻撃を命じ、ローマ軍右翼をも拘束する。拘束に成功するとハンニバルはカルタゴ軍左翼の予備騎兵部隊をローマ軍右翼の背後へ包囲して挟撃してこれを撃破する。続いて同予備騎兵部隊はローマ軍中央の背後を移動してローマ軍左翼の背後に迂回し、カルタゴ軍右翼の騎兵部隊と挟撃してローマ軍左翼をも撃破した。このときヴァロは中央の歩兵部隊の全戦力を運用してカルタゴ軍の中央突破で勝利することに注目しており、カルタゴ軍中央の歩兵部隊は凹字型の態勢に圧迫されていた。ハンニバルはローマ軍両翼の騎兵部隊を撃破したこととローマ軍背後に移動したカルタゴ軍予備騎兵部隊の戦闘態勢が準備されたのを受け、この時点で最初に使用しなかった重歩兵部隊をも投入して全軍に包囲と突撃を命令して勝敗は決した。

ローマ軍はカルタゴ軍の完全包囲の攻撃を受けて壊滅的な被害を受けた。ローマ軍の死傷者は6万、1万が捕虜となった。さらに指揮官のパウルスが戦死し、ヴァロも敗退した。また別働隊としてカルタゴ軍の陣地を攻撃していた1万の部隊も2千の損害を出して敗走した。カルタゴ軍の死傷者は5千7百であった。この時のハンニバルの戦術は第一次世界大戦前に各国軍で戦史研究が進められ、敵を決戦に誘致し(主導の原則)、戦闘では敵の主攻を中央の歩兵部隊で拘束している間に左翼の騎兵部隊で逆に敵の弱点に向かって機動し(機動の原則、奇襲の原則)、最後に全戦力で打撃する(経済の原則)という攻防を組み合わせた模範的な戦術を実施した[32](詳細はカンナエの戦いを参照)。
ロイテンの戦い

ロイテンの戦い七年戦争において1757年12月5日にフリードリヒ2世が率いるプロイセン軍部隊とオーストリア軍部隊の戦いである。

七年戦争においてプロイセン軍はオーストリアの同盟国であったフランスの援軍をロスバッハの戦いで撃破し、転進してブレスロウに向かった。対するオーストリア軍は7万2千人の兵力を以ってニッペルン・フロベルウィッツ・ロイテンなどのブレスロウ南方地域に約9キロの作戦正面を以って陣地を占領して部隊を配備した。12月5日にフリードリヒ2世は兵力が3万5千と相対的に劣勢であり、オーストリア軍部隊の両翼包囲は不可能であり、左翼から側面攻撃を行って撃破し、陣地を占領しようと企図した。オーストリア軍右翼が布陣していた沼地による機動の不自由とショイベルヒ・ザーガシュッツ間に位置する高地によってオーストリア軍の視界を妨げていた経路を用いて縦隊で南下、続いて左旋回して斜線陣に戦闘展開し、午後1時からオーストリア軍左翼に突撃を実施した。これに応戦してオーストリア軍はロイテンを中心軸にして右翼を右旋回してプロイセン軍を包囲しようとしたが、機動に手間取ってしまい左翼を効果的に支援することが出来なかった。プロイセン軍はその間にロイテンに向かって集中攻撃を加えてオーストリア軍を東西南の三方向から包囲攻撃を行って徹底的に撃滅し、続いて退却するオーストリア軍の追撃を行った。

戦闘は午後4時過ぎまで継続され、オーストリア軍は包囲攻撃を受けて混乱し、死傷者1万、損失火砲131門、さらに1万2千が捕虜となった。劣勢であるにも拘らずプロイセン軍が的確な側面攻撃を成功させた戦史上の優れた戦術である。これは初期の段階で正面攻撃が兵力上から不可能であるために側面攻撃を実施すべきと決心し(目標の原則、簡明の原則)、迅速な機動によって敵の戦闘展開の意表を突き(機動の原則、奇襲の原則)、斜線陣に戦闘展開して一翼を撃破し(主導の原則)、これに応じて陣形を転換しようとするオーストリア軍を三方包囲攻撃して撃滅し(集中の原則)、追撃で勝利の戦果を最大化した(経済の原則)[33]
軍事以外の戦術

戦術は競争的な性格を持つ政治経済、スポーツ競技、ボードゲームなどの他分野においても概念が用いられたり、用語が流用されることがある。しかし、軍事上の概念とはずれがある場合がほとんどなので、混合しないように注意が要する。(詳細は個別の項目を参照)
政治における戦術

牛歩戦術はこれは国会決議における野党の戦術である。その実行については、国民への野党の政治的パフォーマンスに過ぎないという見方と、多数派の横暴への正当な対抗という見方がある。(牛歩戦術を参照)
経済における戦術

敵対的買収(企業乗っ取り)を仕掛けられた企業が取る防護策については、M&Aの項を参照のこと。
スポーツにおける戦術

一対一の競技ではあまり重視されない(格闘技などは例外)が、団体競技では重要である。野球アメリカン・フットボールなどの様にルールが複雑な競技では、監督・コーチや司令官的立場の選手が大きな役割を持つ。
ボードゲームにおける戦術

チェス将棋囲碁などの戦略性の高いボードゲームでは、盤面の状況に応じた戦術が重要となる。かつてヨーロッパの軍学校では、兵棋演習の一環としてチェスが行われていたが、抽象的すぎるため現在では行われていない。
脚注[脚注の使い方]^ a b 防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』(かや書房、2000年)141頁
^ “コトバンク”. コトバンク. 2024-3-38閲覧。
^ a b 松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)
^ 松村劭『戦争学』(文藝春秋、平成18年)42頁
^ 松村劭『戦争学』(文藝春秋、平成18年)72頁
^ 松村劭『戦争学』(文藝春秋、平成18年)147 - 148
^ 松村劭『新・戦争学』(文藝春秋、平成12年)146 - 160
^ 眞邉正行『防衛用語辞典』(国書刊行会、平成12年)
^ 眞邉正行『防衛用語辞典』(国書刊行会、平成12年)、松村劭『戦争学』(文藝春秋、平成18年)83 - 84頁
^ 松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年) 18 - 19頁
^ a b 眞邉正行『防衛用語辞典』(国書刊行会、平成12年)
^ 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 陸海軍年表 付 兵語・用語の解説』朝雲出版社
^ フランク・B・ギブニー編『ブリタニカ国際百科事典 1 - 20』(ティービーエス・ブリタニカ、1972年)などを参考に、戦術の原則について記述し、またしばしば引用される戦術研究として『孫子』、ジョミニの『戦争概論』、クラウゼヴィッツの『戦争論』そして現代陸軍教範にも採用されているフラーの研究をまとめた。その他の軍事学者軍人が導き出した原理についてはそれぞれの項目を参照してもらいたい。
^ 金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波書店、2006年)、栗栖弘臣『安全保障概論』(ブックビジネスアソシエイツ社、1997年)を参考に戦術論に限定し、その主要と思われるものを部分的に抽出した。
^ ジョミニ、佐藤徳太郎訳『戦争概論』(中央公論新社、2001年)、栗栖弘臣『安全保障概論』(ブックビジネスアソシエイツ社、1997年)247 - 253ページを参考にした。ジョミニの戦略・戦術の区分は現代の戦略・戦術の区分と一致しない点も数多く、ここでは作戦戦略・作戦術・戦術の一部が含まれていると思われる戦争の基本原理の項目を参考に、重複する部分を省き、使用されている言葉を戦術学と適合させて述べている。
^ クラウゼヴィッツ著、清水多吉訳『戦争論 上下』(中央公論新社、2001年)を参考文献とし、本項目が戦術であるために抽出した箇所も同参考文献29頁などから抽出している。
^ 松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)12 - 17頁およびField Manual 100-5, Operations, Department of the Army, 1993.
^ a b 松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)27頁
^ 松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)28頁
^ 松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)39 - 44頁


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