戦略地政学
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これらの国家は、(たとえ大規模な植民地を維持していたとしても)実質的な自治を維持するには小さすぎて、ドイツ国内での保護と組織化によってより良い結果が得られるだろうと考えられていた[29]。 ハウスホ―ファーは、ヨーロッパにおける、ベルギーオランダポルトガルデンマークスイスギリシャオーストリア-ハンガリーの「分裂した同盟」が、自らの主張を強化していると見ていた。

ハウスホーファーとミュンヘン学派の地政学は、最終的には、1914 年のドイツ国境の回復と1897年に外務大臣ベルンハルト・フォン・ビューローが唱えた世界政策「陽のあたる場所」をはるかに超えて、生存圏とアウタルキーの概念を拡大していくことになる。彼らは、新ヨーロッパ秩序、新アフロ・ヨーロッパ秩序、そして最終的にはユーラシア大陸全体の秩序を目標とした[30]。この概念は、アメリカのモンロー主義と、国家と大陸の自給自足の理論に由来する、パン・リージョンとして知られるようになる。これは、植民地を求める動きを前向きに再構築したものであり、地政学的には経済的な必要性としてではなく、威信の問題として、また古い植民地大国に圧力をかけるためのものであると考えられていた。基根本的な原動力は、経済的なものではなく・文化的・精神的なものであった[29]

パン・リージョンは経済的な概念だけでなく、戦略的な概念でもあった。ハウスホーファーは、ハルフォード・マッキンダーが提唱したハートランドの戦略的概念を認めた[29]。ドイツが東欧、ひいてはロシアの領土を支配することができれば、敵対的なシーパワーを封じる戦略的地域を支配することができる[31]イタリアと日本との同盟は、ドイツのユーラシア大陸における戦略的支配力をさらに強化し、これらの国が孤立したドイツを守る海軍力となることを意味する[24]
ニコラス・スパイクマン

ニコラス・スパイクマンオランダ系アメリカ人の地政学者で、「封じ込めのゴッドファーザー」として知られている。 彼は、地政学的著作『平和の地理学』(1944年)で、ユーラシア大陸のパワーバランスが米国の安全保障に直接影響を与えると主張した。

パイクマンは、地政戦略学の考えの基礎をハルフォード・マッキンダーのハートランド理論に置いていた。 スパイクマンの主な功績は、ハートランド対「リムランド」(マッキンダーの「内側の三日月地帯、」「外側の三日月地帯」に類似した地理的区域)の戦略的な評価を変えたことだった[32]。スパイクマンは、ハートランドを、近い将来に強力な交通や通信インフラによって統一される地域とは見ていない。そのため、比類なく防御向きの位置にあるにもかかわらず、米国のシーパワーに対抗できる立場にはないだろうとした。リムランドは重要な資源と人口をすべて保有しており、その支配がユーラシア大陸の支配の鍵を握っていたのである。彼の戦略は、オフショア・パワー、そしておそらくロシアにも、一国によるリムランドの支配の強化に抵抗させることであった。勢力均衡が平和をもたらすのである。
ジョージ・ケナンGeorge F. Kennan

ジョージ・ケナン駐ソ連米大使は、冷戦時代の地政戦略学をX論文にまとめた。彼は「封じ込め」という言葉を造語したが、この言葉は、その後 40 年間にわたって米国の大戦略の指針となるアイデアとなった[33][34]


ケナンは「重点封じ込め(英語: strongpoint containment)」と呼ばれるものを提唱した。アメリカとその同盟国は、世界の生産的な工業地帯をソ連の支配から守る必要があると考えたのである. 彼は、5つの産業力の中心地すなわち米英日独露のうち、唯一争点となっているのがドイツであることを指摘した。ケナンは米ソ間の勢力均衡の維持を重視していたが、彼の考えでは、この数少ない工業地域だけが重要であるとした。

ここでケナンは、冷戦時代の代表的な文書であるNSC-68で大規模な軍事増強を伴う「無差別または世界的な封じ込め」を求めていたポール・ニッツェとは異なっていた[35]。ケナンは、ソ連を真の軍事的脅威というよりも、イデオロギー的、政治的な挑戦者とみなしていた。ユーラシア大陸全域でソヴィエトと戦う理由がないのは、それらの地域は生産的ではなく、ソ連はすでに第二次世界大戦で疲弊していたため、他国に力を誇示する能力が限られていたからである。そのため、ケナンは米国のベトナム参戦不支持を唱え、後にレーガンの軍事増強に批判的な発言をした。
ヘンリー・キッシンジャーHenry Kissinger.

ヘンリー・キッシンジャーは在任中に、国際システムの極性二極から三極へと意図的にシフトさせることと、ニクソン・ドクトリンに関連した地域安定化国家(英語: regional stabilizer)の指定という二つの地政学的目標を掲げていた。キッシンジャーは大著『外交』の第28章で、「中国開国」を、中ソ対立を利用して国際システムのパワーバランスを変えるための手の込んだ策略として論じている[36]。地域安定化国家とは、地域の安定のために責任を負うことと引き換えに、米国の多大な援助を受ける親米国のことである。キッシンジャーが指定した地域安定化国家には、ザイールイランインドネシアが含まれた[37]
ズビグネフ・ブレジンスキー

ズビグネフ・ブレジンスキーは、1997年の著書『The Grand Chessboard(邦訳:ブレジンスキーの世界はこう動く――21世紀の地政戦略ゲーム)』で、ポスト冷戦の地政戦略学について論じた。 彼はユーラシア大陸の4つの地域を定義し、世界的な優位性を維持するために、米国が各地域に対する政策をどのように設計すべきかについて述べている。

4つの地域とは(マッキンダーとスパイクマンに倣い)以下のものである:

民主主義の橋頭堡ことヨーロッパ

ブラックホールことロシア

ユーラシア大陸の"バルカン"こと中東

極東のアンカーことアジア

続く著書『ザ・チョイス(邦訳:孤独な帝国アメリカ――世界の支配者か、リーダーか)』では、グローバリゼーション9.11、そして2冊の本の間の6年間を踏まえて更新された、ブレジンスキーの地政戦略学が述べられている。

彼のジャーナル "アメリカの新しい地政戦略学"において、彼は、多くの学者が予測するような大規模な崩壊を避けるためには、アメリカの戦略を転換する必要があると論じている。彼は次のように指摘している:

米国は、超大国間の核戦争や中央ヨーロッパへのソ連の大規模な通常攻撃の脅威への長年の先入観から脱却する必要がある。

現在および予測可能な将来における状況下での抑止力を強化するために、数多の安全保障上の起こりうる脅威に対して米国がより選択的に対応できるような、ドクトリンと戦力態勢が必要とされている。

米国は、最適な軍事任務を遂行可能な核戦力と非核戦力の柔軟な組み合わせに、より広範に付託すべきである[38]

地政戦略学に対する批判現代のイデオロギーの中で、「地政学」の理論ほど、気まぐれに全てを網羅し、ロマンティックに曖昧で、知的にずさんで、第三次世界大戦を引き起こす可能性があるものはない。—Charles Clover、Dreams of the Eurasian Heartland[39]

 地政戦略学は様々な批判にさらされ、地理決定論の粗野な形態と呼ばれてきている。ナチス・ドイツの戦争計画や、冷戦の対立を生み出したと認識されている米国封じ込め戦略と結びつけて、国際的な侵略と拡大主義を正当化するために使用される用語としてみなされることもある。マルクス主義者や批判的国際関係理論家は、地政戦略学を単にアメリカ帝国主義を正当化するためのものだと考えている[22]

政治学者の中には、非国家主体の重要性が高まるのに従って地政学の重要性も低下すると主張する者もいる[22]。同様に、安全保障問題よりも経済問題の方に重きを置く人たちは、地政戦略学よりも地経学の方が現代に適していると主張している[40][41]
関連項目

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