OWI協力者には、作家のハワード・ファスト、ジェイン・ジェイコブズ、SF作家マレイ・ラインスター、コードウェイナー・スミス (Paul Linebarger)、ジェイ・ベネット (Jay Bennett)、ハンフリー・コブ、アラン・クランストン、歴史学者のジョン・フェアバンク、オーウェン・ラティモア、アーサー・シュレジンジャー、映画監督ゴードン・パークス、脚本家ウォルド・ソルト[1] らがいる。
日系では、フランク・正三・馬場がおり、画家の石垣栄太郎は中国の抗日戦争を応援し、その妻でフェミニストの記者だった石垣綾子(マツイ・ハル)[1] も日本の満州侵略を批判していたため、OWIは彼らを雇用した[38][39][40]。このほか、藤井周而[1]、国吉康雄[1] らがOWIに協力し、自ら売り込んで参加した八島太郎(岩松淳)も厭戦ブックレット「運賀無蔵」(うんがないぞう)のイラストを担当している(ただし方針に異を唱えて7か月で退職)[41]。
戦後ドリル工場に動員された女性
OWIに参加した作家、プロデューサー、俳優のなかにはソ連や共産主義を賛美するものもおり、アメリカ共産党の党員もいた[42]。
OWI太平洋作戦部長で中国学者のオーウェン・ラティモアは、のち副大統領ヘンリー・A・ウォレスに同行して1944年に中国とモンゴルを訪問するなどしたが、戦後になってソ連軍参謀本部情報局を離脱したアレクサンダー・バーミン将軍が、ラティモアがソ連の工作員である可能性を指摘した[43][44][45]。赤狩りの中心人物であったジョセフ・マッカーシーはラティモアをアメリカ政府内の親共産主義者として告発したが、本人の反論のほか、アチソン国務長官やラティモアと同じく中国学の権威であったフェアバンクらがラティモアを擁護した。結局ラティモアへの嫌疑は却下されたが、彼はこれを機に在籍していたジョンズ・ホプキンズ大学での立場を失い、イギリス、後にフランスへ去った。[46]
このほか、フローラ・ウォブスキンもベノナ文書公開によってソ連のスパイであったことが明らかになっている[47]。
脚注^ a b c d e 山極晃、天川晃、北河賢三、中武香奈美、松信裕「ドン・ブラウンと昭和の日本」Web版有鄰、第453号、平成17年(2005年)8月10日。