このほか、マッチブック(はぎ取り式紙マッチ用ケース)や石けんの包装紙、裁縫箱などに「4つの自由(Four Freedoms)」「ナチの汚れを洗ってください。合衆国の友人より (From your friends the United Nations. Dip in water - use like soap. WASH OFF THE NAZI DIRT)」と書かれたり、ヒトラーや東条英機の漫画が書かれたりした[31]。 ルクセンブルクでのアニー作戦では、アメリカ陸軍第12軍が午前2時から6時30分にかけて秘密ラジオを放送した[32]。 東方戦線ではOWIはポーランドやソ連の連合軍から不評を買った[33]。人的損害があまりにひどかったポーランドやソ連は、戦争を理想化するようなOWIを批判した[34]。 太平洋戦線では、「フリーチャイナ (Free China)」のプロパガンダが実施され、日本軍の不道徳さを強調したり、アメリカの参戦が中国国民にとって利益となることが発信された。OWIは多くの中国人、日系アメリカ人、日本軍捕虜、朝鮮からの亡命者などを雇用し、収集した情報を太平洋地域の各言語に翻訳した。また、インテリジェンスと暗号情報のためのチャンネルも創設された[35]。 しかし、国民党と中国共産党が対立する中国ではOWIの作戦はうまく進展せず、?介石とOWIも多くの面で対立し、?介石側はOWIにスパイを送り込むことさえした[36]。 インドではアメリカはイギリスと戦争の勝利には合意したが、植民地統治については交渉があった[37]。OWIが植民地からの自由を発信することは、インドでの反乱を誘発し、イギリスの立場を危うくすることになったし、またアメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)がアメリカの政策の偽善を指摘することにもなった[37]。 戦時情報局は非常に多彩な学者集団が集められた。政治学者のポール・ラインバーガー(Paul Linebarger)は、ジョンズ・ホプキンス大学で訓練を受け、心理戦のスペシャリストであり、文化を操作するにはまず文化を理解する必要が重要だと考え、極東部門の副長官にジョージ・テイラーを起用し、敵の戦意を研究し操作するため、海外戦意分析課に、ルース・ベネディクト(日本班チーフ)、ジョン・エンブリー、モーリス・オプラーといった人類学者など約30人の社会科学研究者が雇用された[6]。ベネディクトは日本班チーフとなり、『菊と刀』の基となる報告書「Japanese Behavior Patterns (日本人の行動パターン)」をまとめた[6]。 OWI協力者には、作家のハワード・ファスト、ジェイン・ジェイコブズ、SF作家マレイ・ラインスター、コードウェイナー・スミス (Paul Linebarger)、ジェイ・ベネット (Jay Bennett)、ハンフリー・コブ、アラン・クランストン、歴史学者のジョン・フェアバンク、オーウェン・ラティモア、アーサー・シュレジンジャー、映画監督ゴードン・パークス、脚本家ウォルド・ソルト[1] らがいる。 日系では、フランク・正三・馬場がおり、画家の石垣栄太郎は中国の抗日戦争を応援し、その妻でフェミニストの記者だった石垣綾子(マツイ・ハル
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太平洋戦線
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