戦国大名
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戦国期の大名たちは、下剋上する成り上り者が結局は官位を得て飾りとする、と言われるように本来的に権威志向的な存在であり[21]、そのため官位・官途の付与者である天皇・将軍は大名らにとって必要不可欠の存在であり続けた[22][23]

戦国時代の日本では依然として室町幕府や朝廷は全国政権として存在し続けており、そのため地方の大名たちは朝廷や幕府の認証を受けずに自らの支配の正当性を証明することは困難であった[24]。また地方の戦国大名たちも将軍から偏諱を下賜されるなど、戦国時代においても足利将軍を自らの主君であると認識し続けていた[25]
支配とその限界

戦国大名は、領国内に一円的な支配を及ぼした。この領国は高い独立性を有しており、地域国家と呼びうる実態を持っていた。戦国大名は、国人・被官層を家臣として組織化し、自らの本拠地周辺に集住させて城下町を形成する等により、国人・被官層と土地・民衆との間の支配関係を解消もしくは弱体化しようと図った。在地社会に対しては、在地社会の安全を確保する見返りに軍役を課すとともに、検地を実施して新たな租税収取体系を構築した。また、国人・被官層及び在地社会における紛争を調停する基準として分国法を制定する者もいた。こうした戦国大名による地域国家内の支配体制を大名領国制という。

ただし、戦国大名は、地域国家内において必ずしも超越的な存在ではなかった。戦国大名の権力基盤は、家臣として組織化された国人・被官層だった。室町時代中期頃から日本社会に広がった一揆は、国人・被官層にも浸透しており、国人・被官層は自らの利権を共同で確保していくため、国人一揆といった同盟関係を構築していた。そして、戦国大名は国人・被官層が結成した一揆関係に支えられて存立していたのであり、国人・被官層の権益を守る能力のない戦国大名は排除されることもあり、こうした事例は主君押込と呼ばれた。

また足利将軍のように広域の複数の諸大名に対して影響力を行使できる存在は、一般の大名の中には見られず戦国大名がどれだけ勢力を拡大したとしても、所詮それは各大名の「国」内に留まるものであり、将軍のように列島規模で影響力を行使する存在にはなりえなかった[26]。そのため戦国大名たちも全国的な武家の社会秩序の中に自らを位置づける事を必要としており、そこから脱退する発想は持たなかった[27]
主な戦国大名

以下のリストには戦国大名と国衆の区別に議論のある家も含む。
蝦夷地・奥羽

蝦夷地陸奥出羽

蠣崎氏

大浦氏(津軽氏

浪岡北畠氏

南部氏

高水寺斯波氏

葛西氏

大崎氏

伊達氏

相馬氏

二本松氏

田村氏

岩城氏

陸奥石川氏

白河結城氏

二階堂氏

蘆名氏

留守氏

國分氏


安東氏

戸沢氏

小野寺氏

大宝寺武藤氏

天童氏

最上氏

関東

常陸下野上野下総上総安房武蔵相模伊豆

佐竹氏

小田氏

那須氏

宇都宮氏下野宇都宮氏

佐野氏

壬生氏

皆川氏

小山氏

山内上杉氏

横瀬氏(由良氏)

上野長野氏


下総結城氏

古河足利氏

千葉氏

上総武田氏

正木氏

里見氏

扇谷上杉氏

太田氏

多賀谷氏

江戸氏

相模三浦氏

北条氏(後北条氏)

足利氏 (堀越公方)

甲信越・東海・北陸

佐渡越後越中能登加賀越前甲斐信濃飛騨美濃駿河遠江三河尾張

長尾氏上杉氏

神保氏

椎名氏

畠山氏

朝倉氏

甲斐武田氏

高梨氏

信濃村上氏

真田氏

海野氏

仁科氏

小笠原氏

大井氏

諏訪氏

木曾氏


江馬氏

三木氏姉小路氏

土岐氏

斎藤氏

今川氏

井伊氏

松平氏徳川氏

水野氏

斯波氏

織田氏

織田政権:朝廷を庇護した戦国大名の政権


畿内近国

山城大和摂津河内和泉近江伊勢志摩伊賀若狭丹後丹波紀伊

足利将軍家

京極氏

浅井氏

六角氏

若狭武田氏

一色氏

内藤氏

赤井氏

波多野氏

関氏

神戸氏

長野工藤氏

北畠氏

桑山氏


筒井氏

大和越智氏

松永氏

仁木氏

宮部氏(土肥氏)


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