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出典検索?: "我修院達也"
がしゅういん たつや
我修院 達也
本名菅野 彰雄(すがの あきお)
別名義若人 あきら
生年月日 (1950-12-10) 1950年12月10日(73歳)
出生地 日本 東京都渋谷区広尾
血液型B型[1]
職業歌手、俳優、声優
ジャンルテレビドラマ、映画
活動期間1956年 -
公式サイト我修院達也チャンネル
主な作品
テレビドラマ
『ビギナー』
『電車男』
『ルパンの娘 第2シリーズ』映画
『鮫肌男と桃尻女』
『茶の味』アテレコ
『千と千尋の神隠し』
『ハウルの動く城』バラエティー番組など
『オレたちひょうきん族』
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我修院 達也(がしゅういん たつや、1950年12月10日 - )[1][2]は、日本の歌手・俳優・声優・作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。東京都渋谷区[1]広尾出身。身長163cm、体重48kg、血液型B型[1]。本名、菅野 彰雄(すがの あきお)。旧芸名は「若人 あきら(わかと あきら)」。弟子を育てているが、最後の愛弟子・付き人を「星川愛」としている。
一本につながったカモメ型眉が特徴。玄制流空手道1級で双節棍(ヌンチャク)も使える。 母が元女優だったことから、6歳から子役として活動。映画『私は貝になりたい』(1959年)など多数の有名作品に出演。18歳で「桜一平」として演歌歌手でデビュー。その後は「若戸章(わかど あきら)」「若人あきら」と数度の改名を行った。この当時はナイトクラブの弾き語りやキャバレーのショー回りで生計を立てていた。 初期より年齢を6才上に偽って活動していた。これは「我修院達也知誕」によると、16歳で高校中退後、一人で生計を立てるためナイトクラブで弾き語りをしようとしたが未成年だったので断られ、亡き父のスーツを着て髪型を変えひげを生やしてみると22 - 23歳に老けて見えると言われたことで思いつき、「22歳です!」と6歳上ということにして銀座のナイトクラブで弾き語りを始めたからである。後述する失踪事件の際に、年齢を偽っていたことが判明した。 テレビで若人あきら名義で郷ひろみの歌真似を隠し芸としてやったのがうけて、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)、『ひるのプレゼント』(NHK)などで一躍人気者となり、レギュラー番組も増えた。 郷ひろみの家族とも旧知の仲で、郷が急病でベストテン番組(フジテレビ『ビッグベストテン』1980年2月29日放送回)に出演できなかった時、郷の母親の推薦で急遽代役として歌ったことがある。 一時期テレビ東京の番組内の企画で、ものまね四天王に対抗して、原一平(渥美清のものまねが得意)、鯉川のぼる(鶴田浩二のものまねが得意)とともに「ものまね大魔王」を結成していた。 1991年、静岡県熱海市の海岸で釣りの最中突然行方不明となり、3日後に神奈川県小田原市で記憶喪失状態で発見された(後述)。 事件の影響で「若人あきら」の名前が嫌になり、イメージを刷新すべく1993年に「我修院達也」へ4度目の改名をした(菩提寺の住職に依頼し経文から引用して付けてもらっており、作曲家ジョージ・ガーシュウィンが由来ではない)。改名当初は仕事に恵まれず、通信カラオケの編曲やキャバレー回りをしていた。 子どもの頃から若人あきらのファンだったという映画監督の石井克人が、1999年に映画『鮫肌男と桃尻女』に我修院を起用したことで、役者として認知されるようになった。さらに、「アスパラドリンク」(田辺製薬)のテレビCMやSMAP「Fly」のプロモーションビデオなど、石井の作品に多く出演。これが注目され、スタジオジブリ作品に声優として参加するなど、独自の地位を確立した。 基本的には休みをとらず、テレビや映画撮影、営業ステージのない日も41人の弟子(プロ歌手)の歌唱指導やレコード会社の音楽プロデューサーをしながら作編曲の仕事をしているため、スタジオに籠ることも多い。 2007年12月にリリースされた郷ひろみのシングル曲「Good Times Bad Times」のプロモーションビデオに出演しており、同曲が使われているパチンコ新台「CR GO!GO!郷 2nd STAGE」(ニューギン)でも郷と共演している。2008年11月2日テレビ東京『田舎に泊まろう』に出演。2011年10月「スマグラー」に塚田マサコ(ジジイ)役で出演。その際、石井克人の注文により眉間を12年振りに剃り、ひげを44年振りに伸ばした。 声色は低音・中音・高音と使い分けている。 2021年8月10日、公式YouTubeチャンネル『【公式】我修院達也チャンネル 1991年3月3日、静岡県熱海市和田浜南の防波堤で釣りをしていた若人あきらが行方不明になった。警察に届け出が出され、若人が3日後に発見されるまで大々的な捜索がなされ、同時にワイドショーやスポーツ新聞、女性週刊誌などマスメディアを騒がせることになった。若人を捜索するのにかかった費用は約300万円だったという[3]。 事件から12年後の2003年になって「北朝鮮による拉致の可能性」を『週刊新潮』が警察庁警備局の関係者の話として伝聞調で伝えて[4]、改めて事件がクローズアップされた。これらの北朝鮮拉致説について、若人の反応は、『週刊新潮』の取材申し込みに返答はなく、『サンケイスポーツ』紙が匿名の関係者からの伝聞の形で「そんなこと、あるわけないじゃないですか」と一笑に付していたことを伝えている[5]。
来歴・人物
失踪事件
ものまね
郷ひろみ
もんたよしのり
美川憲一