成田市
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3月27日: 下総町大栄町を編入合併[8]。人口120,237人となる。

3月29日: 環境マネジメントシステムの国際規格「ISO14001」を認証取得。


2008年(平成20年)9月27日: 成田山新勝寺表参道の道案内となるモニュメント「時空の舞(ときのまい)」除幕式。

2009年(平成21年)

10月22日 成田空港B滑走路が当初の計画より北側へ延伸され2,500メートル化、供用開始。


2010年(平成22年)

2月5日: 成田市の第1回成田空港成長戦略会議を開催。

4月 市の観光キャラクター「うなりくん」がデビュー。

9月25日 - 10月5日: 第65回国民体育大会(ゆめ半島千葉国体)の柔道・ゴルフ・ソフトボール会場となる。

7月1日: 成田空援隊が設立、活動を開始。

7月17日: 成田新高速鉄道(京成成田空港線)が開通。市内に成田湯川駅が設けられる。

9月26日: 一坪田に大栄野球場が開場。

10月13日: 「成田空港に関する四者協議会」において、成田空港の年間発着容量30万回への容量拡大について国・千葉県・空港周辺9市町およびNAAの四者で合意。


2012年(平成24年)

12月13日: 成田空港A滑走路が開港以来初の4000メートル全面運用を開始。


2013年(平成25年)

3月31日: 成田空港が年間発着容量27万回化し、オープンスカイ協定を導入。


2015年(平成27年)

2月27日:スカイタウン成田(JR成田駅東口再開発ビル)が完成。

4月8日: 成田空港第3旅客ターミナル(LCC専用ターミナル)が開業。

6月7日: 圏央道 神崎IC - 大栄JCT間開通、市内に下総ICが開設。


備考

成田空港開港直後の1980年の成田市の人口は68,418人であり、2007年までに3万人程度増加している。その殆どが市外からの転入者であり、当時の関係者の高齢化と供に成田空港問題を知らない住民が増えたことが成田空港問題の風化を早めていると言う指摘[
要出典]がある。1995年に誕生した第4代小川国彦・市長はその象徴[要出典]であり、元社会党国会議員・一坪運動の地権者の一人(=用地収容反対運動)として登記された人物である。

成田市議会では平成9年11月、市内で起きた芝山鉄道専務宅で発生した爆破事件をきっかけに、同年12月10日「過激派暴力集団の排除等に関する決議」を決議し、極左暴力集団の一掃と根絶を図ることを要望した。また、成田市議会の他に、県内27市議会、千葉県議会、芝山町議会他51町村議会、山武郡市町村会及び JFEスチール千葉協力会など203団体が同じく「極左暴力集団排除決議」を決議している。

方言

成田の方言利根川下流地域で使われる言葉である。「…しましょう」「…だろう」、或いは「…でしょう」など、話し手の意思を表すのに「べー」がよく使われる(例:遊んべー、行くべー)。この「べー」も場所により「だっぺ」や「だべー」と違いが見られる(茨城県では「だっぺ」や「ぺ」が使用されており、茨城寄りになるほど「ぺ」が使われる頻度が高まる)。また、単語にも地域の特性を持つものや標準語に近いものもある。おっぺす(押す)、かちゃっぱ(枯葉)などがよくつかわれる。
なまり

成田地方のなまりの特徴として、清音が濁音になることがあげられる。地名で「ねこさく」が「ねこざく」「ねござく」「ねござぐ」になったり、人名の大木「おおき」が「おおぎ」、話し言葉の良いか「いいか」が「いいが」になったりするなまりが顕著である。
平成の大合併

2002年(平成15年)12月15日に成田地域任意合併検討協議会が初会合を開催[15]2003年(平成15年)2月22日に成田地域任意合併検討協議会で、富里市下総町大栄町多古町芝山町栄町神崎町栗源町横芝町蓮沼村の2市8町1村が法定協議会の規約を承認して翌月の参加各市町村の定例会に法定協議会設置の議案を提出することになった[16]

合併における争点の一つは、成田空港関連の固定資産税などの税収入をほぼ独占している成田市と、騒音問題を抱えているにもかかわらず、空港収入が少ない周辺市町村との温度差であった。合併の枠組みは、松尾町が山武地区の合併協議会へ参加したため離脱し、2市8町1村による議論になったが、2003年(平成15年)3月5日に成田市議会が11市町村での法定協議会設置を否決して市長の小川国彦(当時)が辞意表明し[17]、空港圏合併任意協議会は解散した[18]

空港関連収入の取り分が少なくなることを嫌って、その後成田市は「成田市への編入合併」を前提に富里市香取郡下総町大栄町多古町及び芝山町に対し合併協議参加を呼びかけたが、富里市・多古町・芝山町は「新設合併」を主張し不参加。結果、2006年(平成18年)3月27日に下総町と大栄町を編入することが決まった。成田市が富里市との新設合併を拒否した理由として、財政展望が明るくないことに加え、成田空港建設当時、富里・八街地区への空港建設案があり、両町村が激しい空港建設反対運動を展開したため、成田市への建設が閣議決定された経緯がある[要出典]。

平成の大合併沿革

2004年(平成16年)

3月1日 成田市・下総町・大栄町合併協議会設置。

5月27日 千葉県知事が合併重点支援地域に指定。


2005年(平成17年)

3月15日 合併協定調印。

3月16日 成田市、下総町の議会で合併申請議案可決。

3月18日 大栄町の議会で合併申請議案可決。

3月25日 県へ合併申請。

4月6日 臨時県議会で議決。

4月12日 県で合併決定。

5月13日 総務大臣による官報告示。


2006年(平成18年)

3月27日 下総町・大栄町が成田市に編入合併。

平成の大合併後の動き

2007年3月、千葉県により、市町村合併第2ステージ「千葉県市町村合併構想」が発表され、成田空港圏自治体連絡協議会や地域振興連絡協議会に参加した神崎町、栄町を含む、成田市、富里市、多古町、芝山町の2市4町案が提案される。

2007年11月より、成田市を除く、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の1市4町の首長による合併懇談会が開かれる。

2008年8月5日、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の1市4町の首長が成田市役所を訪れ、小泉一成市長に「千葉県市町村合併推進構想」に示された、成田市、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の2市4町による合併協議の申し入れを提出する。

2008年9月2日、成田市、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の2市4町の経済団体代表者らが成田市役所を訪れ、小泉一成市長に「2市4町による合併実現に関する要望書」を提出する。

2008年9月29日、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の1市4町の首長へ「合併協議申入れに関する回答書」で、新たな合併に取り組むよりも、当面の成田市の諸課題に全力を傾けていきたい旨を回答する。


行政区域変遷

現在の成田市は1954年に新設合併で誕生したものである。それ以前の成田町については当該項目を参照。

変遷の年表

成田市市域の変遷(年表)
年月日現成田市市域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年)4月1日町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足。[19][20]

旧成田市

下埴生郡

成田町 ← 成田町・郷部村・寺台村・土屋村

八生村 ← 印旛郡松崎村・大竹村・上福田村・下福田村・宝田村・押畑村・山口村と印旛郡公津新田村

中郷村 ← 野毛村・東金山村・下金山村・赤荻村・和田村・関戸村・新妻村・芦田村・東和泉村・西和泉村

久住村 ← 幡谷村・荒海村・磯部村・飯岡村・水掛村・大生村・成毛村・小泉村・土室村・大室村

豊住村 ← 北羽鳥村・南羽鳥村・竜台村・興津村・安西新田村・田川村・佐野村・長沼村

遠山村 ← 小菅村・吉倉村・畑ケ田村・川栗村・大山村・馬場村・久米村・取香村・長田村・駒井野村・
堀之内村・東和田村・山ノ作村・十余三村の一部


印旛郡

公津村 ← 印旛郡公津下方村・公津台方村・公津江弁須村・公津大袋村・公津飯仲村・船形村・
八代村・飯田新田村と下埴生郡成木新田村



下総町

香取郡

滑河町 ← 滑川村・西大須賀村・大菅村・猿山村

高岡村 ← 高岡村・大和田村・高村・小浮村・野馬込村・小野村

小御門村 ← 名古屋村・成井村・七沢村・高倉村・倉水村・青山村・名木村・中里村・冬父村・地蔵原新田



大栄町

香取郡

大須賀村 ← 伊能村・掘籠村・所村・村田村・桜田村・馬乗里村・南敷村・横山村・柴田村・奈土村

本大須賀村 ← 香取郡吉岡村・津富浦村・中野村・稲荷山村・松子村・臼作村・新田村・前林村・


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