成田市
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成田空港における航空機の騒音であるが、成田市街地からは離れた丘陵部に位置しているため、航空機の騒音被害を殆ど受けない地域も多い。航空機の騒音被害を受けるのは、空港の滑走路周辺と航路直下である。空港用地の大部分は成田市に属するため、固定資産税などの関連税収は成田市に入ることが多く、財政の豊かさは全国有数である。しかし、空港用地の一部がかかる芝山町などの被害は見過ごされがちであるのに対し、空港利益を独り占めしているという批判[誰の?]もある。現在、地域と共生する空港づくり掲げ、航空需要の増大に従う騒音問題などに向き合っている。

1986年(昭和61年)には東京一極集中の回避を目的とする業務核都市に指定され、千葉県からは千葉新産業三角構想の中核都市として位置付けられている。国の構造改革特別区域法に基づき2003年平成15年)4月21日に国際空港特区、同年5月23日には国際教育推進特区に認定された。2006年(平成18年)3月27日香取郡下総町大栄町を吸収編入した[8]

東洋経済新報社による「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」の4つの観点から住みやすい都市を評価する「住みよさランキング」では、2009年度全国総合1位の評価を受けている。また、通勤圏を考慮した新方式では東京都稲城市に次いで2位の評価を受けている[9]
地理

千葉県の北部中央に位置し、都道府県庁所在地の千葉市から約25キロメートルの距離である。東京都都心から50 - 60キロメートル圏内である。成田市の中心市街地(市役所の位置)から成田国際空港までは更に約5キロメートル離れている。

下総台地に位置し、成田山新勝寺およびその門前町を中心に展開している。面積は213.84 平方キロメートル(千葉県下6位)で、県土の4.1%。市の南西部に門前町(旧市街地)とニュータウンが、南東部の丘陵地帯に成田国際空港がある。これらの地域郊外には農業地帯が広がる。市の西部にある印旛沼、北辺の茨城県との県境を流れる利根川から農業用水の取り込みを行っており、重要な水源でもある。

位置

(極東)所字北割地先 - 東経140度28分21秒

(極西)北須賀字中外埜地先 - 東経140度14分57秒

(極南)南三里塚字東地先 - 北緯35度43分24秒

(極北)小浮字流作地先 - 北緯35度54分09秒

地形

千葉県北部中央の北総台地に位置する。標高は最低標高の1メートル(安西地先)から最高標高の42メートル(南三里塚地先)となっている。成田市の市域の5分の3の面積は海抜10メートルから海抜40メートルの丘陵部であり、関東ローム層が地表を覆う高燥な台地となっている。残りは印旛沼や根木名川水系から入る浸食谷による平らな低湿地帯であり、土地利用も全く異なる。

台地部では山林と畑が混在し野菜畑や落花生畑、牧草地などに、低地部は豊かな水に恵まれ水田に利用されてきた。現在も美しい田園風景が広がっている。また、下総台地の崖下に市街地が広がっており、「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」に該当する急傾斜崩壊危険区域が市内に68箇所ある。成田層(固結した砂層)が雨水によって侵食され、固結粘土層との間にすべりを生じ関東ローム層とともに崩壊する事例が台風などによる大雨により発生することが度々あり、擁壁工などの整備が進められている。

市域

広袤(こうぼう):東西20.1キロメートル 南北19.9キロメートル

自然

一級河川利根川、大須賀川、根木名川派川根木名川尾羽根川、荒海川、小橋川、取香川、十日川、派川十日川、竜台川

湖沼:北印旛沼、坂田ケ池、弁天池、バタ池(羽田池)、西池、浅間池

利根川長豊橋

利根川常総大橋

根木名川

坂田ケ池

気候

年間の平均気温は14.2度、年間降水量は1429.1ミリメートル。年間通して比較的温暖な気候に恵まれる千葉県の中では気温が低い。1月の最低気温の平均は千葉市で1.9度に対し、-2.4度。毎年氷点下5度以下を記録し、年間の0度未満の冬日日数は50 - 80日ほどであり、千葉県の沿岸部とは大きな気候の違いがある。過去最低気温は1984年(昭和59年)1月20日に-10.7度を記録している[10]。春から夏にかけて南西の風が強く吹くことが多く、夜間に放射霧が発生する割合が高い。霧が発生し易い理由として内陸性気候で気温の日較差が激しく、周辺の利根川、印旛沼、中小河川、耕地や水田などが多湿な状況を作り出していることが挙げられる。

猛暑日(35℃以上)最多日数:9日(2022年)

冬日(0度未満)最多日数:86日(2011年)

成田市における平均月別気温と平均降水量

成田空港(1981-2010)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)9.2
(48.6)9.7
(49.5)12.7
(54.9)18.0
(64.4)21.8
(71.2)24.2
(75.6)28.1
(82.6)30.0
(86)26.2
(79.2)21.1
(70)16.4
(61.5)11.8
(53.2)19.1
(66.4)
平均最低気温 °C (°F)?2.4
(27.7)?1.5
(29.3)2.0
(35.6)7.2
(45)12.1
(53.8)16.3
(61.3)20.3
(68.5)21.8
(71.2)18.7
(65.7)12.3
(54.1)5.7
(42.3)0.0
(32)9.4
(48.9)
降水量 mm (inch)61.8
(2.433)62.9
(2.476)115.6
(4.551)116.6
(4.591)119.6
(4.709)144.9
(5.705)123.2
(4.85)117.2
(4.614)214.8
(8.457)202.1
(7.957)99.8
(3.929)50.7
(1.996)1,429.1
(56.264)
出典:成田航空地方気象台[11]

隣接している自治体

印西市

富里市

香取市

印旛郡 : 栄町酒々井町

香取郡 : 神崎町多古町

山武郡 : 芝山町

茨城県稲敷郡 : 河内町

※成田市内に香取郡多古町一鍬田飛地が存在する。
歴史
地名の由来

成田(なりた)の地名の由来には諸説あり

昔から雷が多い為、雷の良く鳴る田「鳴田(なるた)」→「成田」とされる説。

稲の出来が良い土地の為「熟田(なりた)」→「成田」とされる説。

最近の研究では、開墾を行い、なりわい(なりわい業)の田「業田(なりた)」→「成田」

などの説がある。
前史(古代)

※成田市の歴史と、旧下総町・大栄町の歴史とは別項目にわけることとする。船塚古墳前方後方墳

成田付近には旧石器時代の約3万年前から人間が居住していたことが、空港建設に伴う発掘調査(新東京国際空港No.55遺跡(古込))によって判明し、発掘された楕円形石斧は千葉県内最古の遺物として位置づけられている。

縄文時代の南羽鳥中岫第1遺跡では、人頭形土製品などが出土し、国の重要文化財に指定されている。また関東地方最後の大貝塚である荒海貝塚などがあり、縄文時代最後の土器とされる「荒海式土器」が発掘され、国立歴史民俗博物館(佐倉市)の調査では稲作の可能性が明らかにされている。西暦3世紀終わり頃の古墳時代、市内には多くの古墳が出現した。近隣の龍角寺古墳群や日吉倉古墳群を含め、約340基の古墳が存在する。成田市は、水運に恵まれ、大和王権にとっては、重要なルート上に位置し、政治・軍事・経済上重要な地域だったとされる。市域では、成田ニュータウンに位置する船塚古墳が全国的に有名であり、周堀と土堤をめぐらした完全な姿は偉容である。また、古墳用の埴輪を焼いた登り窯(公津原埴輪窯跡)が古墳のすぐ近くで発見されたが、成田ニュータウンの造成により消滅した。千葉県内には他にもう1ヵ所、木更津市畑沢に畑沢埴輪窯跡が発掘されたのみで、貴重な遺跡であった。古文書に成田市域の地名が出るのは755年『万葉集』に「印波郡丈部直大歳、埴生郡大伴部麻与佐」の歌がみえる。埴生郡(はにふのこほり)は、成田市近辺と推測される。

『万葉集』「第20巻4392番」より和歌の詳細については、以下を参照[12][13]。『万葉集』「第20巻4392番」より(原文)阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟(和歌)天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言とはむ(訳)天の神、地の神、どの神に祈ったら、いとしい母に、また話しができるのでしょうか。

成田の文字が確認されるのは、1408年(応永15年)成田村安養寺(現在は永興寺安置)の聖観音菩薩坐像胎内に「成田郷 応永十五年」の銘がみえる。940年(天慶3年)承平天慶の乱(平将門の乱)が平定され、新勝寺が創建されたと同寺縁起(制昨年不明)では記される。


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