成城大学
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それに伴い、「教育改革」、「教育環境整備」、「地域・社会連携」を3本の柱とする「 ⇒成城学園第2世紀プラン」を作成し、「第2世紀の成城教育」を実現するためのさまざまな取り組みを学園全体で行っている[5]

成城大学は、財団法人大学基準協会に成城大学自己点検評価を提出し、「評価の結果、貴大学は本協会の大学基準に適合していると認定する」との評価結果を得ている[6]

沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[7][8])「成城高等学校 (旧制)」も参照
略歴

澤柳政太郎が、1917年成城中学校に併設した成城小学校(創立者は日本体育会体操学校(のちの日本体育大学)と同じ日高藤吉郎ら)を源流としている(後に正式に分離独立した)。その後、1926年7年制高等学校である旧制成城高等学校を創設、翌年には、高等女学校である成城高等女学校を創設した。

成城学校との関係については学校法人成城学園#成城学校との関係を参照。


1949年学制改革に伴い、旧制成城高等学校及び成城高等女学校を母体として新制大学新制中学校新制高等学校へ組織変更することとなり、1950年に成城大学が創設された。

成城大学は、当初、経済学部と理学部の2学部を設置していたが、1954年理学部を廃止。同年、文芸学部と短期大学部を開設した。さらに1977年には法学部が設置された。2005年には短期大学部を廃止、社会イノベーション学部を新設している。

現在の大学の規模は学部が経済、文芸、法、社会イノベーションの4学部11学科。大学院が4研究科10専攻。なお2015年5月1日現在の数字によると専任教員数152(教授109 准教授28 専任講師11、特別任用教授等4)、非常勤講師412、学生数は学部が5,977人、大学院106人である[9]

年表

1917年大正6年) - 成城小学校開設。

1926年(大正15年/昭和元年) - 成城高等学校創設

1927年 - 成城高等女学校創設。

1950年(昭和25年) - 成城高等学校および成城高等女学校を母体に成城大学を開設、経済学部・理学部を設置。旧制成城高等学校(7年制)廃止。

1954年 - 文芸学部、短期大学部を設置。理学部を廃止。

1967年 - 大学院を設置。

1973年 - 民俗学研究所を設置。

1977年 - 法学部を設置。教育研究所を開設。

1980年 - LLセンター、計算機センターを開設。現代法学研究室を設置。

1987年 - 法学研究科を設置。経済学研究所を開設。伊勢原総合グラウンド完成。

1996年平成8年) - スポーツセンターが完成。

2005年 - 社会イノベーション学部を設置。計算機センターを改組しメディアネットワークセンター(MNC)を創設。

2007年 - 新3号館が完成。

2008年 - 民俗学研究所グローカル研究センター設置。大学中庭のリニューアル。1号館、2号館の耐震工事とリニューアル。

2009年 - 社会イノベーション研究科を設置。

2011年 - 研究機構を設置。研究機構の下でグローカル研究センター独立。

基礎データ
所在地

成城キャンパス(〒157-8511 
東京都世田谷区成城6-1-20)

教育および研究
組織
学部
経済学部「経済学部」も参照

経済学科

経営学科

文芸学部「文芸学部」も参照

国文学科

国文学、漢文学、国語学を学ぶ。


英文学科

英語の運用能力の習得だけでなく、英語圏の文学、英語圏の文化、英語学を学ぶ。


芸術学科

美学芸術学音楽学演劇学映画学)と美術史日本東洋西洋)の各分野を併せ持つ、日本でも数少ない学科として知られている。


文化史学科

主に「日本史学」「民俗学」「文化人類学」という3つの柱から成り立つ。


マスコミュニケーション学科

新聞、雑誌、放送といったマスメディアの研究のほか、心理学、社会学、コミュニケーション理論も学ぶ。


ヨーロッパ文化学科

ドイツ、フランスの文学、歴史、哲学、芸術などを学ぶ。


法学部「法学部」も参照

法律学科[10]

法曹コース法律専門家の人材を育成する

企業と法コース会社法、労働法、独占禁止法など、企業活動に役立つ法的知識を学ぶ

公共政策コース行政をめぐる諸制度を学ぶ

国際社会と法コース国際法、国際組織法、比較政治学などを学ぶ


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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