憲法
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イギリスの哲学者ジョン・ロック1689年に著した「統治二論」(市民政府論)において、統治の構造を自然法論の伝統と社会契約の理論により説明している[15][16][17]

そこでは、立法権行政権などの統治権が、統治者の武力や外圧によってもたらされるのではなく、生命と財産の保障を望む被治者からの「信託」によって成立すると説いている。遡ること47年前の1642年トマス・ホッブズが「市民論」で持ち出した自然状態での「万人の万人に対する闘争」を避けるために、必然的にコモンウェルス(commonwealth)への移行が要請されることとなる。コモンウェルスの主権としては、立法権・行政権と連合権(外交権)の三権分立が挙げられ、立法権こそが基軸であるとしている。

またロックは、当時主流であった国王が立法権と執行権の両方を握る「絶対王政」を否定して、

議会が立法に携わる必要があり、議員は議会の制定した法に自ら服さなければならない

統治権者は同意なしに被治者の財産を奪えず、議会が課税同意権を基礎づける

といった点を論じているが、他方で行政権を行使する国王は、立法権への拒否権を持ち、刑罰法の執行の緩和・停止の権力を与えられるものと説いている。そのうえで行政権と立法権の双方向のチェックを期待しつつ、人民(people)による「信託」という人民主権の概念を行政府も立法府も侵害した場合に対して、ホッブズが唱えていた「抵抗権」を発展させた「革命権」を提起した。もっとも、統治権の変更を求めるような革命権の行使には相当の条件が必要ともしている。

この後、ロックの論を背景として立憲主義が発展し、「国民の信託に基づいた憲法の制定経緯」「連邦主義」「立法権など三権の分立」「抵抗権に先立つ憲法改正」「統治権者の憲法擁護義務」などを明文化した世界最初の共和政原理に基づいたアメリカ合衆国憲法が1788年に発効されている。「アメリカ合衆国憲法#アメリカ合衆国憲法の思想的背景」も参照
法的意味の憲法の多義性
形式的意味の憲法と実質的意味の憲法

19世紀後半から20世紀にかけゲオルグ・イェリネック(Georg Jellinek)などに代表される法実証主義の公法学者によって、事実的な意味での憲法概念を除く法的意味の憲法は、実質的意味の憲法と形式的意味の憲法に整理されるようになった[18]。実質的な意味の憲法と形式的な意味の憲法の区別はほぼそのまま日本の憲法学に取り入れられた[18]

形式的意味の憲法とは「憲法」という名前で呼ばれている成文の法典を意味し、実質的意味の憲法とは多くの成文法や不文法の内容として存在する国家の基礎法全体を意味する[19]。諸国にほぼ共通する現象として、実質的意味の憲法のすべてが成文化されているわけではなく、下位の法規範(法律や命令)で規定されたり、判例や憲法慣習によって補充されている[20]

実質的意味の憲法には含まれないと考えられる事項が当該国家の特殊な事情や憲法制定者の意向のもとで形式的な意味の憲法に盛り込まれることがある[20]。形式的な意味の憲法に含まれるものの実質的な意味の憲法に含まれないものとしては、「出血前に麻酔させることなく動物を殺すこと」を禁止したスイス憲法旧25条の2がしばしば引用されるが、樋口陽一によれば、これはユダヤ教徒の慣行を禁止することを目的とした規定であり、実質的な意味の憲法に含まれる[21]
固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法

固有の意味の憲法とは、国の統治の基本に関する国家の基礎法をいう[22]。国家はいかなる社会経済構造をとる場合でも必ず政治権力とそれを行使する機関を必要とするから固有の意味の憲法は国家が存在するところには必ず存在する[23]

これに対して1789年のフランス人権宣言16条が「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と述べているように、専断的な権力を制約して権利を保障することこそ最も重要な憲法の目的と考えられるようになり、政治権力を制限する規範体系・規範秩序を内容とする憲法を「立憲的意味の憲法」あるいは「近代的意味の憲法」という[23]

なお、国の基礎法である憲法は、実定法の体系では公法に属する法である[24]
樋口陽一による用法

樋口陽一によれば、「実質的意味の憲法」とは、いかなる社会でも問題となる基本的な統治制度の構造と作用を定めた法規範の総体を意味する。そのうち、何らかの一定の形式上の標識を備えた法規範を「形式的意味の憲法」と呼ぶ。さらに、その上で特定の実質内容をそなえた法規範を「近代的または立憲的意味の憲法」と呼ぶ[25]
憲法の分類
形式による分類

類型該当するもの
成文憲法(成典憲法)憲法典として制定された憲法。第二次世界大戦後では、多くの国は成文憲法を有する。

憲法の条文数は平均で140少々となっている。多いのは
ユーゴスラビア(406箇条)、インド(395箇条)。少ないのはインドネシア(37箇条)などがある[26]

最短はヴィシー政権の憲法「1940年7月10日の憲法的法律」で、「全権力をペタン将軍に委任する」の1箇条しかなかった。

不文憲法(不成典憲法)憲法典として制定されていない憲法。イギリスが代表例である。憲法が成文の単一の法典という形式の法規範では存在せず、議会法などの主要な法律、憲法判例、憲法慣習、憲法習律の総体が実質的意味の憲法である。

改正手続による分類「憲法改正」および「硬性憲法」も参照

類型該当するもの
硬性憲法憲法改正手続に普通の法律改正以上に厳格な手続を要求する憲法。
軟性憲法憲法改正が普通の法律改正と同様の手続で行いうる憲法。

制定主体による分類

制定の主体に着目して憲法を分類することもある。

類型該当するもの
欽定憲法君主によって制定された憲法(大日本帝国憲法など)。
民定憲法(直接または間接に)人民によって制定された憲法。
協約憲法君主と人民により制定された憲法。
条約憲法連邦国家の憲法がその構成主体間の条約によって成立した場合のもの(ビスマルク憲法アメリカ合衆国憲法など)

近代憲法の特色

近代の立憲的憲法は内容面においては人間の権利と自由の保障とそのための国家組織の制度化(具体的には権力分立)によって具体化されるものである[27]。これはグロチウス、ロック、ルソー、モンテスキューなどによる自然権思想や権力分立論などを背景とする[27]

立憲的憲法は形式面ではほとんどが成文憲法をとっている[28]。その理由は近代合理主義のもとで成文法は慣習法に優ると考えられ、新しい権力関係を樹立するためには新たな政治機構の骨組みを書き留めておく必要があった[28]。また、国家は自由な国民の社会契約によって組織されるという社会契約説のもと、この社会契約を具体化したものこそ根本契約としての憲法であり文書にしておくことが望ましいと考えられたことが成文憲法の発生と普及の大きな要因となった[28]

また、立憲的憲法は性質面では一般に法律よりも改正が難しい硬性憲法となっている[29]。憲法は権力(特に立法権)を法的に制限することによって不可侵で不可譲の自由を保障する普遍的な実質的価値を内在するものだからである[29]。ただし、フランスの憲法思想ではフランス人権宣言6条が「法は一般意思の表明である」という考え方が強く憲法と法律との区別は徹底されてはいなかった[30]。これに対しアメリカの憲法思想は独立時にイギリス議会や州議会による不当な権利・自由に対する制限への反発が強く、立法権への不信から立法権は制限されるべきと考えられ、憲法と法律との区別がフランスやドイツよりもはるかに明確に現れることとなった[31]

近代憲法の多くは人権規定と統治機構の両面で構成される。人権規定については、その後、環境権プライバシー知る権利など、新しく生まれた概念が盛り込まれた憲法も多い[26]
最高法規性と国法秩序
形式的最高法規性

憲法が国法秩序の段階構造で最も強い形式的効力をもつ規範であることは通常の法律改正よりも難しい憲法改正手続きが要求される硬性憲法のもとでは当然のことである[32]。そこで憲法の最高法規たる本質は憲法が実質的に法律とは異なる点に求める必要があり、それが次の実質的最高法規性である[32]


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