慶應義塾
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注釈^ 正しくは「白山義学」か。渋江抽斎・森立之『經籍訪古志』安政3年(国書刊行会編刊『解題叢書』1916年所収、10頁)及び村尾元長『近藤守重事蹟考』1893年、2頁を参照。なお、義学と義塾は同義。
^ 独立自尊の4字は、福澤諭吉の戒名「大観院独立自尊居士」にも取り入れられている。この名は、高弟・小幡篤次郎の撰によるとされる。
^ 紀州藩親藩だったために、幕末には長州征伐に出陣したりするのだが、地理的環境から京都大阪を通じて反幕勢力の状態も知り、彼らに倣って早くから英学を採り入れたのである。鎌田栄吉の自伝によると廃藩前に紀州藩で福澤諭吉を破格の待遇で招こうとしたのだが、すでに慶應義塾を開いていたので不可能だった。そして紀州出身で福澤門下の松山棟庵が和歌山に帰って藩立の共立学舎という英学校を作った。その助教がやはり慶應出身の吉川泰次郎(後の郵便汽船三菱会社社長)だった。明治五年になって藩学は県学となって吉田政之丞が慶應から帰って来て、数人の助手を抱えて英学を教えた。鎌田栄吉はここで理学初歩、地理初歩に初まって、ギゾーの文明史、テーラーの英国史、ウエーランドの経済書などをすべて慶應流で教えられたとのことである。前記のように旧藩時代から小泉信吉横浜正金銀行の創立者)らが福澤門下となっていたが、「福翁自伝」にも塾には紀州の学生が多いと書いている。当時の慶應義塾では福澤の属した中津藩出身者、越後長岡藩出身者、紀州藩出身者が学生の主流だったということである。また、岸幹太郎徳川家家令)、草郷清四郎(紀州藩騎兵指揮官)、三宅米吉歴史学者)、巽孝之丞ら初期の藩士だった
^ また、維新後の和歌山における慶應義塾を範にとった変則中学の展開や、中井芳楠長屋喜弥太が創設した私塾自修社(後の自修学校)、同地の義田結社「徳義社」の結成など、紀州藩との密なる関係がみてとれる。
^ 開校当初は塾生の代表が塾長となり、学生として在籍する傍ら教壇に立つことが多かった。
^ 明治維新後に洋学・特に英語を学習する生徒が殺到し、校舎の増築がままならなかったため。
^ 正則科は修業年限7年、変則科は満17歳以上を入学の条件として修業年数を定めなかった(歴史:[慶應義塾])。
^ 鹿児島出身の塾生のなかには西郷軍に加わり戦死した者もいたという(『慶應義塾百年史』 上巻、726頁)。
^ 翌年専修学校の開校にともない廃止され、一部の学生は専修学校法律科2年に編入された(学校法人専修大学 『専修大学百年史』 下巻、1696頁)。
^ 三田英学校、錦城学校を経て現・錦城学園(慶應義塾150年史資料集編集委員会 『慶應義塾150年史資料集 2 基礎資料編』 2016年、25頁)。
^ この頃、攻玉社同人社と共に「三大義塾」として並び称され、代表的な各種学校となる。
^ 塾旗も含めて制式化されるのは1964年である[25]
^ このときハーバード大学から教員3名を招聘した(『慶應義塾七十五年史』 164頁)。
^ 大学部は定員割れの状況が続いていたため、中上川彦次郎などは大学部を廃止して高等科を拡充すべきだと訴えていた(『慶應義塾百年史』 中巻(前)、189-199頁)。
^ 翌年大学科を大学部、普通学科を普通部と改称(『慶應義塾百年史』 中巻(前)、269頁)。
^ 塾旗も含めて制式化されるのは1964年である[25]
^ 当初は三田の旧普通部教室を主に使用した(『慶應義塾七十五年史』 223頁)。
^ 常議員会の設置により1946年廃止。
^ 東京横浜電鉄(現東急電鉄)が誘致し、校舎用地の提供を受けた(『慶應義塾百年史』 中巻(後)、297-330頁)。
^ 当初は文学部心理学研究室、法学部法律鑑定部などが置かれ、1943年からは慶應義塾大学亜細亜研究所の施設となったが(1946年廃止)、昭和26年(1951年)から慶應義塾女子高等学校となった(『慶應義塾百年史』 中巻(後)、522-523頁)。
^ 藤原工業大学は藤原銀次郎の寄付により1939年に開校、当初から慶應義塾への統合を前提としていた。
^ 旧東邦電力の東邦産業研究所跡地を、同窓の松永安左エ門による寄付によって取得。
^ 5年卒業生と4年修業生は旧制最後の大学予科へ、3年修業生は新制高校へ進学(『慶應義塾百年史』 下巻、177-178頁)。
^ 一校あたりの定員数制限が緩和されたため(『慶應義塾百年史』 下巻、166頁)
^ キャンパスの使用方法が戦前の予科(新制の高等学校3年および学部1・2年に相当)と大学の区分に戻る。

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