慶應義塾大学
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2月 - 京都慶應義塾(京都集書院)を設立(翌年閉鎖)[54]。『民間雑誌』創刊(翌年廃刊)。
4月 - 卒業の制度を実施。
6月 - 三田演説会発足[55]。
1875年(明治8年)
4月 - 正則・変則両科を本科・予備とし、予備を大人・童子両科に区別。本科に数学、予備の大人科に算術を課す。
5月 - 三田演説館開館。
1876年(明治9年)
9月 - 本科を五等に区分し、予備科大人科を単に予備科、予備科童子科を単に童子科と改称。
11月 - 井上良一の発案で万來舎を設置。
協議社・猶興社など結成され演説、文筆活動を行う。土佐の立志学舎の運営に参画。
1877年(明治10年)
1月 - 東京英語学校(前:開成学校、後:大学予備門)と共に、本科第三等生徒およびそれ以上の者に対する徴兵免役の指令、東京府より出さる(明治9年11月7日東京府宛伺書提出)。
4月 - 東京大学開設にあたって義塾出身の濱尾新を総理補に選出。
11月 - 県令を受けて神戸商業講習所の経営を引き受ける。
西南戦争により塾生減少[注釈 13]。教員間の読書研究会として「読書院」発足。
1878年(明治11年)
3月 - 三菱商業学校設立に参画。
4月 - 晩学生のため科外(のち別科)を設置。大久保一翁、勝海舟を訪ね徳川家より義塾維持資金借用のことにつき相談。
初めて卒業式を行う。
1879年(明治12年)
3月 - 官立大学化を望まず、島津氏らの旧大名に維持資金の援助を賜る。
9月 - 大人科・童子科を予備科(のち予科)と改称。
10月 - 夜間法律科を設置[注釈 14]。
秋 - 日本初の簿記教育を開始。
清国人教師を招き、支那語科を開設(1881年廃止)。
1880年(明治13年)
1月 - 交詢社を設立(日本最古の社交倶楽部)[56]。
2月 - 興亜会へ参画[注釈 15]。
3月 - 議事講習会(擬国会)を開催。
9月 - 福澤諭吉の廃塾宣言[注釈 16][57]。
10月 - 岡山商法講習所開設、義塾出身者経営に携わる。
11月 - 「慶應義塾維持法案」を発表[58]。大阪商業講習所開設、所長以下らに義塾出身者赴任。
大学予備門に倣って予備科(のち三田予備校)を設置[注釈 17]。
1881年(明治14年)
1月 - 「慶應義塾仮憲法」制定。社頭と塾長に関する規定が成文化される[59][60]。
6月 - はじめて留学生を受け入れる[61]。
1882年(明治15年)
3月 - 『時事新報』創刊。
10月 - 物理学会創立(1884年以降断絶)。
1883年(明治16年)
4月 - 『文学会雑誌』発刊。
11月 - 酒井良明により酒井寄宿舎が発足。
12月 - 徴兵令改正により兵役免除の特典を失う。
1885年(明治18年)
9月 - 科外を別科と改称し、正科修業年限5ヵ年、別科4ヵ年とする。
ペンの記章を付け始める。
1886年(明治19年)
3月 - 帝国大学発足にあたって義塾出身の渡辺洪基を総長に選出。
6月 - 最初の運動会(陸上競技会)を開催[62]。
1887年(明治20年)8月 - 第一講堂竣工[注釈 18]。講堂内に書籍館を設置[50]。
1888年(明治21年)
2月 - 正科生による同盟休校事件発生。
春 - 三田ベースボール倶楽部発足。
第二講堂竣工[63]。
1889年(明治22年)
1月 - 大学部設置のため「慶應義塾資本金」募集開始。
8月 - 「慶應義塾規約」制定。
10月 - 第1回評議員会を開催。大学部主任教師としてリスカム、ドロッパーズ、ウィグモアの3名来日。
慶應義塾大学部リスカム(前列中央)と文学科の第1回卒業生(1892年)慶應義塾第一講堂
(1893年頃)教室内部(1893年頃)慶應義塾生の炬火行列E.B.クラーク福澤諭吉終焉之地第1回慶早戦の両校選手(1903年11月21日)大学部校舎(1904年9月竣工)慶應義塾実測図(1907年)『三田文学』創刊号図書館のバルコニーから塾生に挨拶するハーバード大学エリオット総長(1912年6月26日)三田大講堂
関東大震災以前の姿北里柴三郎
1890年(明治23年)
1月 - 大学部が発足し、文学・理財・法律の三科を設置。従来の正科・別科を普通部とした。
7月 - 大学部設置につき皇室より一千円下賜。第1回衆議院議員総選挙で義塾出身者28名当選。
8月 - 理財科学生池田成彬が米国ハーバード大学に留学[注釈 19]。
1892年(明治25年)
5月 - 体育会創設。
10月 - 最初の水上運動会を開催[62]。
1893年(明治26年)
5月 - 日本法律科を新設。
12月 - 司法省指定学校となり、大学部法律科修了者に判事検事登用試験の受験資格が与えられる。
この頃、別科の修業年限二年(三級)となる(従来は三年四ヵ月、五級)。
1894年(明治27年)11月 - 初めて炬火行列を行う[64]。
1895年(明治28年)
8月 - 朝鮮より国王選出の両班出身少壮官吏の留学生入学。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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