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やノートページでの議論にご協力ください。慶尚北道略称: ??;慶北;Gyeongbuk;キョンブク
慶尚北道の旗
慶尚北道の紋章
位置
地図
各種表記
ハングル:????
漢字:慶?北道
日本語読み仮名:けいしょうほくどう
片仮名転写:キョンサンブク=ト
ローマ字転写 (RR):Gyeongsangbuk-do
統計(2023年)
面積:19,031.42[1] km2
総人口:2,554,324[2] 人
男子人口:1,290,298 人
女子人口:1,264,026 人
人口密度:134.2 人/km2
世帯数:1,282,500 世帯
行政
国: 大韓民国
下位行政区画:10市12郡
ISO 3166-2:KR-47
行政区域分類コード:37
慶尚北道の木:ケヤキ
慶尚北道の花:サルスベリ
慶尚北道の鳥:アオサギ
自治体公式サイト: ⇒慶尚北道
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慶尚北道庁
慶尚北道(キョンサンブクト、けいしょうほくどう、朝: ????)は、朝鮮半島東南部に位置する大韓民国(韓国)の道。慶北(キョンブク、??)と略される。 「慶尚」とはかつての中心都市であった慶州(新羅の古都)、尚州を組み合わせた合成地名であり、この周辺地域を慶尚道と呼ぶ。行政区画としては李氏朝鮮の時代に東西に分けられたりなど試行錯誤が行われ、1896年勅令第36号で朝鮮八道における慶尚道の北半分を慶尚北道と定めた。 かつて慶尚北道の一部であった大邱市は1981年に大邱直轄市(1995年より大邱広域市)として分離した。その後も道庁は大邱広域市に置かれていたが、2016年2月12日に安東市に移転した。 東は日本海に面し、北は江原特別自治道に、西は忠清北道・全北特別自治道に、南は慶尚南道に接しており、韓国で一番面積が広い道(国土面積の20%、日本の四国の面積とほぼ同じ)になっている。 韓国第三の都市・大邱市の後背地で、中京圏と同じ立ち位置である。 道の大部分が太白山脈、小白山脈に囲まれる盆地であるため、韓国でもっとも暑い地域であるといわれる。 農業が重要な産業のひとつであり、コメ、豆、ジャガイモ、大麦などが生産される。大邱周辺で生産されるリンゴは特産物であるといえる。酪農業も営まれる。漁業もまた盛んであり、エビ、カニなどの甲殻類、海藻やイカが漁獲される。 なお、韓国政府の立場では、竹島(韓国名:独島)は鬱陵郡に所属するので、慶尚北道の管轄となる。 1月の平均気温:安東(-2.3℃) 浦項(1.6℃) 聞慶(-2.0℃) 8月の平均気温:安東(25.0℃) 浦項(25.4℃) 聞慶(24.6℃)
概要
歴史
1314年 慶尚道が成立する。
1896年 慶尚北道と慶尚南道に分離する。
1946年10月1日 大邱10月事件。
1963年 蔚珍郡を江原道から編入する。
1981年 大邱市、直轄市に昇格し道から分離する。
1995年 達城郡を大邱広域市に編入する。
2005年3月16日 慶尚北道知事、島根県の竹島の日制定に抗議して姉妹都市提携破棄を宣言する。
2005年6月9日 10月を独島の月とし、日本との交流を制限する条例を制定する。
2006年6月1日 知事選挙で金寛容(キム・グァンヨン)が新しい知事になる(任期は7月1日から)。
2009年3月13日 サイバー独島士官学校を設立[3]
2016年2月12日 道庁を大邱広域市から安東市に移転する。
2023年7月1日 軍威郡を大邱広域市に編入する[4]。
行政
慶尚北道知事:金寛容
第30代(民選5期):金寛容(???、2010年7月1日?2014年6月30日)
第29代(民選4期):金寛容(???、2006年7月1日?2010年6月30日)
第28代(民選3期):李義根(???、2002年7月1日?2006年6月30日)
第27代(民選2期):李義根(???、1998年7月1日?2002年6月30日)
第26代(民選1期):李義根(???、1995年7月1日?1998年6月30日)
出典:“ ⇒慶尚北道知事ホームページ”の“ ⇒?????(歴代道知事)”。2014年7月1日閲覧「慶尚北道知事」も参照
道議会:60議席(地域区54+比例代表6)地域区は小選挙区制。
党派別議席数(2017年5月21日現在)合計党派別内訳 10の市と12の郡が設置されている。
自由韓国党共に
民主党無所属
合計605622
選挙別内訳地域区545202
比例代表642?
出典:「 ⇒???? ???」(現役議員政黨別) ⇒慶尚北道議会ホームページ。2017年5月21日閲覧
慶尚北道の自治体
市部
浦項市
南区
北区
安東市(道庁所在地)
慶州市
金泉市
亀尾市
栄州市
永川市
尚州市
聞慶市
慶山市
郡部
義城郡
青松郡
英陽郡
盈徳郡