慰安所
[Wikipedia|▼Menu]
1932年上海事変の際に駐屯する日本軍が増えたため、海軍によって、貸座敷(売春施設)を軍専用とする形で設置された「海軍慰安所」というものが慰安所の始まりと言われ、陸軍もこれを参考にしたと言われている。[要出典]

1932年、第一次上海事変が起きる。上海事変から南京攻略を終えた1937年末までに、日本兵による強姦が頻発したため、その防止に向け慰安所が設置されたといわれる[34]。この時期は民間の経営による民間客と兼用の慰安所・風俗売春店が多く[35]、長崎の女性達がだまされ帰りの旅費がないためにそのまま就業したという事件も起きている[36]
本格的設置の始まり

1938年、慰安所の数が増え、管理体制が決められ、それまで個々の軍がやっていたことを兵站の一部として設定される。

このときの慰安婦の募集では、地方警察に無連絡であり、日本国内法の常識から大きくはずれる点が多く、誘拐と疑わしいトラブルが、警察との間に生じた[37]。日本では公娼が廃止の方向に向かっていたこと、「からゆき」といわれる主に南方の海外娼婦を廃止させた(1920年)政策も背景と見られている。

1938年2月に内務省警保局から地方にあてた「支那渡航婦女の取扱に関する件」と題する通達[38]では、海外渡航の売春関係の女性が増えていること、その中には、軍が了解していると言って回る者が頻発しつつあるとし、取り締まりの基準として、成人以上で親族・本人の同意を直接確認するなどし、社会問題が起きないよう広告を禁じている。これを受けた3月には、陸軍省から華中派遣軍に対して、業者による募集が誘拐に類するものなどが少なくないなどの懸念を通知し、軍の威信保持、ならびに社会問題上遺漏なきようにとの指示が出されている。[39]

1937年までは、風俗関係の取り締まりが地方領事館によって一定でなかった[40]。当時の上海などでは取り締まりの厳格さのために新規営業を認めない方針であったが、1938年以降、日本軍占領地域での犯罪の防止と治安維持のために、民間業者による軍人専用の「特殊慰安所」の設置が始まり、多くの施設が作られた[41][42]

1941年太平洋戦争開始に伴い慰安所は太平洋地域へも拡大したと考えられている[43]

慰安所は1942年9月3日の陸軍省人事局恩賞課長の報告「金原日誌」によれば400箇所が設営された[44](地域別の内訳は北支100、中支140、南支40、南方100、南海(南西太平洋)10、樺太10)。しかしこの報告書で言及された施設のすべてが慰安所であったかどうかは不明であり、新設計画を含めたものかどうかも不明である。秦郁彦は、陸軍の慰安婦関係は1942年の4月から人事局恩賞課が担当したが、1942年夏に要望があったがうまく派遣を実行できず、業者が部隊と連絡して行なったという。資料の「金原日誌」9月3日には将校以下の慰安施設として数字があるだけであると指摘している[45]
慰安所の設置理由

日本政府の調査によれば、慰安所の設置理由は以下の通り[46]:2。
日本軍人による占領地住民に対する強姦等の不法行為の防止

性病等による兵力の低下の防止

防諜の必要性

強姦の抑止

慰安所の設置にあたっては強姦対策もあったが[47]、強姦罪は跡を絶たなかったともいわれる[48][49][50]。その一方で、日本軍の占領を経験したリー・クアンユーは、日本軍のシンガポール占領時にはレイプは殆ど発生せず、起きたレイプ事件の大半は郊外での出来事で、これは「慰安所の存在でその説明がつくと思う」と回顧録に書いている[51]:40。

1937年10月6日、当時の中国には紅槍会という地方農民の自衛団があり「特に強姦に対しては各地の住民一斉に立ち死を持って報復せるを常しあり」と、各方面軍から通達が回っている[41]

武藤章が東京裁判に先立って国際検察局の尋問に語ったところによれば、シベリア出兵時より日本兵による強姦・掠奪などが横行し始めたとされる[52]
性病の防止

将兵の公衆衛生上の安全確保。民間の売春宿を利用して性病が蔓延する事を恐れたため。

太平洋戦争期の全ての戦地(満州を除く)での性病の罹患率は、100万以上の[53]陸軍兵士・軍属に対し年間約1.2万人で[35]、終戦時の連合軍の調査では南西太平洋地域では日本軍の罹患率はきわめて低いとしている。[35]
防諜の必要性
慰安所の種類

吉見義明は、日本軍人が利用した慰安所を以下の1から4のタイプに分類している[54]。秦郁彦は、吉見の分類をほぼ妥当とした上で、これに5のタイプを付け加えた[55]。吉見によれば、1と2が純粋の「軍慰安所」である[56]
軍直営の慰安所

軍が監督・統制する軍専用の慰安所(特定の部隊専属のものと、軍が指定したものとに分けられる)

一定期間軍が兵員用に指定した民間の売春宿(民間人も利用)

純粋に民間の売春宿

料理屋、カフェ、バーなど売春を兼業した施設

陸軍の慰安所は、部隊と共に行動する部隊専属型と駐屯地(都市)で営業する遊郭型の二種類に大別することも出来る[57]:59。

慰安所の設置が認められていない小部隊に、慰安婦が巡回して営業するというシステムをとった地域もあった[注釈 6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:121 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef