慧能
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菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}本(もと)樹無く 明鏡亦(また)臺(だい)に非(あら)ず)本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物(むいちもつ) 何(いず)れの處(ところ)にか塵埃(じんあい)を惹(ひ)かんと)[1][2][3]

慧能の詩(多版本)
菩提本無樹 明鏡亦無臺(菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い)佛性常清淨 何處有塵埃(仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)心是菩提樹 身為明鏡臺(心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ)明鏡本清淨 何處染塵埃(明鏡は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというのか)

弘忍は慧能を六祖と認めたものの、他の弟子たちがそれを受け入れないだろうと思い、慧能を身の安全の為に逃がす。弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大?嶺まで逃げる慧能。500人の僧が追ってくる。遂に追いつかれるが、慧能は敢然と法論して論破した。誰が正しい法脈なのかに気付き、弟子になった者もいるという。
思想

慧能が「本来正教無有頓漸(正しい教えに本来は頓も漸もない)」と説いたことは、法話集である『六祖壇経』から明らかである。そして、荷沢神会を始めとした鼓吹派が、神秀の漸修禅(北宗)に対抗して頓悟禅(南宗)を説き、それが新興士大夫階級に受け入れられて爆発的に教線が拡大した。鼓吹派から青原行思(石頭宗)、南嶽懐譲洪州宗)、南陽慧忠などの優れた弟子が輩出され、後の五家七宗全てがその一門から出た。
即身仏

現在、慧能のものとされる即身仏ミイラ)は広東省韶関市曲江区の南華寺に祀られている。科学的な調査によって唐代中期に作成されたものと推定され、中国に現存するミイラとしては最古のものと言われる。衣服を含めてで塗り固められているため、外見からミイラの状態を確かめることはできない。文化大革命時代、紅衛兵に一部を破壊された。後に修復する際、頭骨を含めた骨格と補強の鉄材を確認することができたという。
語録

六祖壇経

弟子

荷沢神会青原行思南嶽懐譲南陽慧忠永嘉玄覚、司空本浄

伝記

『六祖壇経』

祖堂集』巻二

景徳伝灯録』巻五

宋高僧伝』巻八

古田紹欽田中良明『慧能』

脚注[脚注の使い方]
注釈
出典^神秀惠能偈頌辨解(一)
^神秀惠能偈頌辨解(二)
^神秀惠能偈頌辨解(三)

外部リンク

六祖慧能
禅人

本来無一物 承福禅寺










禅宗 (大乗仏教の一派)
起源菩提達磨 - 慧可 - 僧? - 道信 - 弘忍 - 神秀/慧能 ─┌─南嶽懐譲 - 馬祖道一
└─青原行思 - 石頭希遷



主な宗旨

中国

初期禅宗

三階教  · 牛頭宗  · 荷沢宗  · 洪州宗(→消滅) · 北宗南宗
五家七宗

臨済宗黄龍派楊岐派)  · ?仰宗  · 雲門宗  · 曹洞宗  · 法眼宗

日本

臨済宗  · 曹洞宗  · 普化宗  · 黄檗宗
韓国

曹渓宗  · 太古宗
ベトナム

竹林禅派(英語版)  · プラムヴィレッジ(英語版)

如来菩薩

釈迦如来など
思想・基本教義

坐禅看話禅黙照禅)  · 不立文字
仏典

二入四行論  · 六祖壇経  · 臨済録  · 無門関  · 碧巌録  · 従容録不立文字
関連人物

中国: 百丈懐海  · ?山霊祐  · 臨済義玄  · 洞山良价  · 雲門文偃  · 清涼文益  · 大慧宗杲  · 宏智正覚  · 隠元隆g


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