1880年の「パリ大悪臭」とそれにつづく感染症の大流行は、一方では下水道の大幅な改造をもたらした。プベルらが進めようとする生活廃水と糞尿、清掃水、雨水などを一緒に排水するトゥ・タ・レグ(すべてを下水へ)の方式には、多くの根強い反対論があり、その採用に至るまでには紆余曲折があった[85]。とくに、ジョルジュ・オスマンは自らの傑作である回廊式下水道を糞尿で汚染されることに強い嫌悪感を示したといわれている[85]。しかし1892年、コレラが再び流行し、このことは、建物を直接下水道に接続させた際に生ずる費用を家主や管理者が負担する1894年の条例の発布につながった。こうして、全廃水下水道放流方式すなわちトゥ・タ・レグ方式の下水道システムが整備されたのである[86]。
日本では、明治の文明開化以降の近代的な「公衆衛生」に相当する概念として、当時医学の諸制度はドイツを手本としていたため、ドイツ語のHygiene(ヒュギエーネ)の概念が衛生ないし衛生学として受容されたが、イギリスの制度も参照された。このころ、長与専斎はヨーロッパを視察し、生命や生活を守る概念としてHygieneが社会基盤の整備を内包し、国家や都市を対象としていることから、その和訳について、あえて「養生」ないし「健康」「保健」を転用せず、『荘子』庚桑楚篇にある「衛生」の語をあてている。明治政府は、その初期においては1874年(明治7年)に医制を公布し、各地方に医務取締を設置、その後1879年(明治12年)には中央衛生会(地方には衛生課)を設置、公選によって衛生委員を置くなどの体制を採用した。しかし、1885年(明治19年)、このような民主的なシステムは廃止され、1893年(明治26年)には衛生医院の機能を警察部に移管、上意下達式になった。これは、日本の中央集権型行政の進展を意味するとともに、いっぽうでは、急速な感染症拡大への手早い対応をめざしていたためでもあった[87]。
日本ではロックフェラー財団からの支援もあって国立公衆衛生院が昭和初年に発足している。なお同衛生院第2代院長の古屋芳雄は、公衆衛生を「公衆団体の責任に於いて、われらの生命と健康とを脅かす社会的並びに医学的原因を除き、かつわれらの精神的及び肉体的能力の向上をはかる学問及び技術」と定義している。
感染症と現代詳細は「新興感染症」、「再興感染症」、および「輸入感染症」を参照
1980年、WHOは天然痘の根絶宣言を出した。人類は、医学の進歩や公衆衛生事業の進展により、近い将来、感染症を撲滅することができるだろうとだれもが楽観した。しかし、実際にはエボラ出血熱やヒト免疫不全ウイルス(HIV)の登場などにみられる新たな感染症(新興感染症)の登場や、結核・マラリアなどいったんは抑制に成功したかにみえたが再び流行した感染症(再興感染症)の時代をむかえている。さらに、医薬品に抵抗力をもつ、さまざまな薬剤耐性菌も出現している。
病名病原体発見(確認)年・国名症状感染経路
エボラ出血熱エボラウイルス1976年・スーダン全身出血、臓器壊死血液・体液の接触
後天性免疫不全症候群(AIDS)ヒト免疫不全ウイルス(HIV)1981年・アメリカ合衆国全般的な免疫力低下性行為、血液感染など
腸管出血性大腸菌感染症病原性大腸菌O1571982年・アメリカ合衆国下痢、腎機能低下経口感染
C型肝炎C型肝炎ウイルス1989年・アメリカ合衆国食欲不振、嘔吐、黄疸など血液・体液の接触、母子感染
変質型クロイツフェルト・ヤコブ病異常プリオンタンパク質1996年・イギリス進行性の認知症、行動異常などBSE牛の脳・脊髄などの摂取
鳥インフルエンザトリインフルエンザウイルス1997年・中華人民共和国発熱、咳、多臓器不全病鳥およびその内臓・排泄物への接触