中国湖南省長沙市の前漢代の墳墓である馬王堆遺跡のミイラから日本住血吸虫の生活痕跡を検出したことから、中国において、この感染症の流行はきわめて古くからのものであることが確かめられている[23]。
中国では、1950年代初頭、四川盆地をふくむ長江流域や広東省、福建省、雲南省など広汎な地域で日本住血吸虫症の流行が顕在化し、患者数は約3200万人にのぼったと推定される[24]。中華人民共和国では、建国以来、大衆動員によって古いクリークを埋め立て、新しいクリークを開削する方法によってオンコメラニア対策が採られ、1958年には、江西省余江県での成功にちなんで、当時の中国共産党の指導者毛沢東は「送瘟神(瘟神を送る)」と題する漢詩をつくっている[23][注釈 3]。
日本住血吸虫症は、こんにちでも中国やフィリピンを中心に年間数千人以上の新規感染患者が発生しているが、日本では1978年に発生した山梨県の罹患者を最後に新規感染者が確認されておらず、1996年には山梨県知事の天野建によって「地方病終息宣言」が出された[25]。
マラリア「マラリアの歴史」および「戦争マラリア」も参照マラリア原虫を媒介するハマダラカ
単細胞の寄生虫であるマラリア原虫が赤血球に寄生して起こる感染症で、40℃前後の発熱や悪寒などの症状をともない[26]、頭痛や吐き気をもよおすこともある。熱系により、三日熱、四日熱、定期性のない熱帯熱に分けられる[26]。熱帯・亜熱帯地域に多く、日本では「おこり」とも呼ばれた[27][注釈 4]。
マラリアの起源は古く、農耕生活の始まりにさかのぼる[15]。ヒトに感染するマラリア原虫には6種あり、うち5種はゴリラやチンパンジーなどアフリカ産霊長類に起源を有している[15]。のこり1種は、2004年にボルネオ島で見つかったサルマラリア原虫で、カニクイザルなどアジアに棲息するマカクを自然宿主としている[15]。
カの中でハマダラカの一部の種だけが病原体を媒介する[26]。メスのハマダラカが感染者の血液を吸い、別の人を刺すことによって広がる。通常、カに刺されて10日ないし14日の潜伏期間を経て、発作状の発熱がある[26]。効果的なワクチンはないが、抗マラリア剤で治療できる。従来、長きにわたってキニーネが特効薬とされてきたが、のちにアテブリンやプラスモヒンが開発された[26]。第二次世界大戦後はクロロキンの使用が増えている[26]。
マラリアは、約1万年前以降、ヒトの生存に大きな影響を与え始めたが、これは新石器革命の開始の時期とほぼ一致している[28]。4800年前ないし5500年前の古代エジプトでつくられた複数のミイラからはマラリア原虫のDNAが検出され、ツタンカーメン王のミイラからもマラリア原虫の一部が見つかっている[28]。また、マラリア予防の目的かどうかは不明であるが、古代エジプト最後の女王、クレオパトラ7世が蚊帳の下で寝ていたことが確かめられている[28]。