ワクチンは、無毒化したウイルスを体内に入れることによって免疫力を高め、実際に感染した際に急激にウイルスが増殖することを抑制する医薬品である[9]。天然痘ウイルスについては、アジア地域においては、古くから人痘接種法がおこなわれてきた。1796年、イギリスの医学者エドワード・ジェンナーは初めて種痘(天然痘ワクチンの投与)をおこない、これが天然痘根絶への道をひらいた。こののち、ルイ・パスツールらによって「予防接種」の概念が広くゆきわたるようになった。
1950年代、ジョナス・ソークとアルバート・サビンの2人はポリオ(急性灰白髄炎)に有効なワクチン(ポリオワクチン)を開発して、後にこれをほぼ制圧することに成功した[11]。ポリオウイルスとの長期にわたる闘いのなかで築かれてきた、コールドチェーン、マイクロプランニング、サーベイランスシステム、緊急オペレーションセンターといったインフラストラクチャーは、他の感染症を予防・制圧するうえでも大きな役割を担っている[11][12]。 人類はその誕生以来、疾病に苦悩してきたと推測され、長い狩猟・採集生活のなかで、チンパンジーからマラリア、オナガザルから黄熱病、イヌ科哺乳動物から狂犬病といった感染症に罹患した可能性がある[13]。ただし、小集団で行動し、人口密度の希薄な時代にあっては感染集団が全滅するなどしてしまえば、それ以上感染が拡がることはなかったものとみられる[13]。その後、農耕が開始し、あるいは定住生活へと移行して集落が発生し、人と人、さらに人と家畜が接近して生活するようになると、人間と感染症の関係は劇的に変化した[13]。紀元前8000年頃、西アジアではヒツジ、ヤギ、ブタの飼育、すなわち牧畜がはじまっているが、ヒト型コロナウイルスが出現したのは、その同時期だという説もある[14]。インフルエンザやコロナウイルス感染症などは、野生生物の世界で流行していた感染症が人類の間でも流行するようになった「人獣共通感染症」なのである[14]。 牧畜の開始によって動物との接触が増え、農業の開始によって定住化が進行し、都市が形成されると感染症の流行が頻繁に起こるようになった[14]。『旧約聖書』や『新約聖書』、古代中国文明やギリシア文明の古典、『ヴェーダ』をはじめとする古代インドの文献には、結核、ハンセン病、コレラ、天然痘、マラリア、インフルエンザ、麻疹、ペスト、狂犬病、肺炎、トラコーマと考えられる、さまざまな症状の感染症が登場する[13]。 農業の開始が感染拡大に大きな影響をあたえた感染症にはマラリアや住血吸虫症がある[15][16]。灌漑のためにつくられた水深の浅い水路や溜め池は昆虫や巻き貝などの宿主の棲み処となった[15]。蚊が媒介するマラリアは、農業の開始とともに人びとの間でも流行が始まり、およそ4800年前から5500年前の古代エジプトのミイラからもマラリア原虫のDNAが見つかっている[15]。住血吸虫は河川や湖沼に生息し、巻き貝を宿主とする生活史を営んでいるが、メソポタミアやエジプトにおける初期の農耕社会ですでに蔓延しており、日本には水田耕作とともに弥生時代に持ち込まれたと考えられている[16]。 東アジアと西アジア・地中海世界をつなぐシルクロードは、絹や漆器、紙などを西方に、宝石やガラス器、金銀細工や絨毯などの文物を東方にもたらしたが、同時にさまざまな感染症を交換させた[17]。
人類史と感染症
農耕・牧畜のはじまりと感染症
人類の移動と病気の拡散「シルクロード」および「世界の一体化」も参照