感染症の歴史
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1533年フランシスコ・ピサロによるインカ帝国の征服も、それに先だって中央アフリカから帝代のコロンビアの領域にもたらされた天然痘による死者が膨大なものであり、人口の60パーセントから94パーセントを失ったことによるとされる[19][55]1526年にはインカ皇帝のワイナ・カパックや宮廷の臣下たちの大部分が天然痘がもとで死んでいるが、後継者とされたニナン・クヨチもまた天然痘で命を落としてしまった。そのため王位をめぐる争いがアタワルパワスカルの異母兄弟のあいだで起こった[60]。圧倒的少数者であったピサロが勝利できたのは、鉄製の武器や馬の使用によるところが大きかった[60]。しかし、天然痘ウイルスによって人口が急激に減少したインカ帝国は、スペイン軍が侵入したとき、すでに内乱をかかえ、崩壊寸前であった[19][60]。アステカ、インカの両帝国の崩壊はいずれも馬や鉄器火砲をもたない軍事的敗北の結果といわれるが、それ以前に天然痘が猖獗をきわめたことにともなう帝国側の戦闘力喪失が大きな要因だったのである[55][60]

17世紀前半には北アメリカ東部のインディアンで天然痘が流行している。また、18世紀のフレンチ・インディアン戦争では、イギリス軍により生物兵器としてインディアン殲滅を目的に使用された例がある。また、アメリカ独立戦争では、英国軍をカナダに追いつめてカナダがアメリカ合衆国領となる事態までとなったが、このとき独立軍に天然痘が流行したといわれる[55]。なお、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも11歳のとき天然痘にかかり、その痕跡がいくつもあったといわれている。種痘法を確立したジェンナー(1749-1823)

1721年オスマン帝国で発達したトルコの人痘接種法がヨーロッパに伝わったが、これは天然痘それ自体の発病の危険をともなうものであった。1798年、自らも人痘接種を受けたことのあるイギリスの医師エドワード・ジェンナーが牛痘にかかった者は人痘にもかからないという農婦の話を聞き、種痘を開発して8歳の少年に牛痘を接種した。これが世界における予防接種のさきがけであり、一種の人体実験でもあった。ジェンナーは自身の幼い子どもにも予防接種をおこない、また、種痘の乾燥保存に成功した[61]。これは、史上初のワクチンである天然痘ワクチンの嚆矢となった。

以後、種痘の普及に伴い急速に天然痘の流行は少なくなったが、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは顔にはっきりと痘痕が残っており、天然痘によるものとされている。なお、アメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のトマス・ジェファソンがいる[61]

天然痘は、1958年世界保健機関(WHO)総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まった。1970年には西アフリカ全域から根絶され、翌1971年に中央アフリカと南米から根絶された。1975年バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのエチオピアソマリアが流行地域として残ったが、1977年、ソマリアのアリ・マオ・マーランを最後に天然痘患者は報告されておらず、3年を経過した1980年5月8日にWHOは根絶宣言を行った。

天然痘ウイルスは現在、アメリカとロシアのバイオセーフティーレベル4の施設で厳重に管理されている。天然痘は、ヒトに感染するウイルス性感染症のなかでは、人類が根絶した唯一の感染症である。
ポリオ(急性灰白髄炎)詳細は「急性灰白髄炎#歴史」を参照古代エジプト壁画にみられるポリオ

ポリオは、小児に発症が多かったことから「小児麻痺(しょうにまひ)」の名でも知られ、日本での正式名称は「急性灰白髄炎」である。

ポリオの名称は、英語の poliomyelitis の前半部分(灰白部)に由来しており、中枢神経である灰白部と脊髄に病変が生じるところからの名称である。ポリオは、ピコルナウイルス科エンテロウイルス属ポリオウイルスを病原体とする感染症であり、脊髄神経の灰白質をおかすため、はじめの数日間は風邪をひいたような症状があらわれるが、その後急にまひして動かなくなる病気である。

ポリオウイルスに感受性があるのは霊長類だけであり、自然宿主はヒトだけである。ポリオについても、その歴史は古く、エジプト第18王朝紀元前1403年?紀元前1365年)の石碑に、片足が萎縮してをついた人物が刻されているが、これが症状からみてポリオであろうと推定されている[62]


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