感染症の歴史
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すなわち、コレラインフルエンザマラリア麻疹ペスト猩紅熱睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘結核腸チフス黄熱などが、ユーラシアとアフリカからアメリカ大陸へもたらされた[19]

免疫をもたなかった先住民はこれらの伝染病によって激減した[19]。アメリカ大陸には、スペインポルトガルをはじめとしてヨーロッパ各地から多くの植民者がわたったが、スペイン王室は植民者に先住民支配の信託を与え、征服者や入植者に対し、その功績や身分に応じて一定数のインディオを割り当て、一定期間使役する権利を与えるとともに、彼らを保護してカトリック改宗させることを義務づけた。これがエンコミエンダ制である。

まもなく先住民(インディオ)を使役して鉱山で金や銀を掘り出し、カリブ海域ではサトウキビの栽培が始まった。どちらも現地の人びとのためではなく、ヨーロッパ大陸における需要のための生産であった。先住民は、過酷な労働条件と感染症のために激減し、深刻な労働力不足に陥った。これを補うため、ヨーロッパ人は黒人奴隷をアフリカ大陸に求めて奴隷貿易がはじまった。ここに西ヨーロッパ、西アフリカ、南北アメリカ大陸を結ぶ人とモノの貿易連鎖、いわゆる三角貿易が成立し、大西洋をはさむ4大陸のあいだに大西洋経済とよばれる世界システムが形成されていった。

一方、アメリカ大陸より旧大陸にもたらされた感染症には、人獣共通感染症であるシャーガス病性病として知られる梅毒、イチゴ腫、黄熱(American strains)がある[20]

ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、1545年から1548年にかけてのメキシコ(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民(インディオ)の約8割が死亡したといわれる。征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3パーセントにすぎなかったという試算もある『クロニック世界全史』, p. 436。

「コロンブス交換」は、アメリカ合衆国の歴史学者アルフレッド・クロスビーによって唱えられた用語である[21]。上述のように、それは、ヨーロッパとアメリカ大陸との相互の疫学的条件の均質化をうちに含んでいるが、これを、フランスのアナール学派に属する歴史家エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリは「細菌による世界の統一」という表現を用いて説明した[22]
寄生虫症の流行 「寄生虫病」も参照

下に掲げたほかにも、サシチョウバエ類によって媒介され、トリパノソーマ科原虫リーシュマニアの感染を原因とするリーシュマニア症や、カメムシ目サシガメによって媒介され、ユーグレノゾアキネトプラスト類に属する鞭毛虫トリパノソーマ・クルージを病原体とするシャーガス病などの寄生虫病が知られる。
住血吸虫症詳細は「住血吸虫症」、「日本住血吸虫」、および「地方病 (日本住血吸虫症)」を参照

住血吸虫症の起源は古く、灌漑網を整備したメソポタミアエジプトの初期農耕社会ですでに蔓延していたとみられ、マラリアとならんで農耕生活の広がりによって拡大した感染症である[16]。河川や湖沼に生息する巻貝が中間宿主となり、ヒトには生水を通して感染する[16]。住血吸虫の保虫者は慢性的な胃や胸の痛み、疲労感、下痢を訴えることが多く、虫卵が膀胱尿管の粘膜に集まるため尿路にも障害が生じる[16]。フランスの英雄、ナポレオン・ボナパルトは尿道の激しい痛みを持病としていたが、従来、その原因は尿路結石とされていた[16]。しかし、その症状記録を子細に検討した専門家は、18世紀末葉から19世紀初頭にかけてのフランス軍のエジプト遠征(エジプト・シリア戦役)の際に感染したビルハルツ住血吸虫症の可能性が高いと報告している[16][注釈 1]。アフリカや中東にかけてはビルハルツ住血吸虫症が今なお流行しており、ダムや灌漑水路の普及とともにますます拡大している[16]。エジプトでは、1970年完成のアスワン・ハイ・ダムの貯水開始とともに感染が爆発的に拡大した[16][注釈 2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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